「あとに引けなくなっていく」という恐怖のリアル
春日 つい考えちゃうのが、準備万端整って「さあ、死のう」というところで、「あ、やっぱり……」と後悔の念が生まれてしまったらどうなるんだろう、ってことでさ。「今日はやめとこう」とできればいいけど、状況によっては、あとに引けなくなって……みたいなこともあると思うのよ。
穂村 それ、想像すると怖いなー。自分はもう死ぬことに躊躇し始めているのに、それでも「さあ、どうぞ」という環境が整っていて逃げ出せない……。
春日 それで思い出すのが、吉村昭(1927〜2006年)の昭和的な暗さ満載の短編小説「星への旅」(新潮社『星への旅』収録)なんだけどさ。死にたくなった若者たちが集まって、借りてきたトラックに乗り込んで自殺のための旅に出るというロードノベル風の作品で。最後、海辺の断崖まで行って、みんなで縄で縛り合って一緒に飛び降りようってことになるんだけど、メンバーの1人が「やっぱりイヤだ」って逆らい出すのね。でも、本気のヤツが「そうはさせない」とジリジリ迫っていく。主人公も内心ではイヤだなって思っているんだけど、今更引き返せないし……みたいになって。
穂村 で、どうなるの?
春日 結局みんな一斉に飛び降りて死んじゃうの。イヤな話でしょ(笑)。逃げりゃいいのに、「ここで逃げたらみっともないな」とか「卑怯者って思われたらイヤだな」みたいなことを考えてしまって、死にたくないのにどんどん後戻りができなくなってしまう。
穂村 すごく分かる。これは以前エッセイにも書いたことあるけど、昔点滴してる時にさ、液薬が切れそうになっているのに気付いたんだよね。それで思い出したのが、「血管に空気が入ったら死ぬ」という都市伝説めいた話でさ。そこでナースを呼んで、「あの、点滴がなくなりそうなんですけど(ほら、空気が入っちゃうでしょ)」って言えればいいんだけど、大人だし、さすがに点滴でそれはないだろうと頭では分かっているから、恥ずかしくて言い出せない。でも実はびびってる。本当は命がかかっているんだから恥ずかしいとか言っている場合か?! という話なんだよね。いくら迷信めいた話とはいえ、「絶対死なない」という確証を持てない以上、死の確率はゼロではない。でも、見栄みたいなものがあって声を上げることができない。その経験から、さっきの小説のようなシチュエーションをすごく恐れるようになった。
春日 それから、自殺とはちょっと違うけど、井上靖(1907〜1991年)の短編「補陀落渡海記」(講談社『補陀落渡海記 井上靖短篇名作集』収録)も傑作よ。昔の日本の話でね、補陀落信仰というのがあって、修行をしてしかるべき時がきたら、お坊さんは海の向こうにある極楽浄土に渡るという決まりになっているんだよね。この「海を渡る」というのは、実際のところは「死にに行く」という意味で。主人公の坊さんは、成り行きから「何年かすると海の向こうに発たれる偉い坊さん」だということになっちゃって、まわりは彼を崇め奉るわけ。
穂村 それでだんだん後に引けなくなっていくわけね。
春日 で、最後はやっぱり取り乱すんだけどさ、もう船が用意してあるから逃げられない。しかも、半分棺桶みたいな船で、その中に無理矢理入れられて釘打たれてさ。で、すごいのはここからで、流されるんだけど、途中で嵐に遭って島に流れ着くんだよ。ああ、助かった! と思ったら、関係者に発見されて「おやおやこんなところで」ってもう1度釘打たれちゃう。一切救いなし。
穂村 ホラー映画の、「助かった!」と思ったらもう1回襲ってくるパターンだ。
春日 この小説は、日に日に状況がヤバくなってくことが本人も分かっているし、逃げようと思えば逃げられるはずなんだけど、それでも腰が上がらないっていうあたりの描写がやたらとリアルなんだよね。井上靖はいいよー、さすが実はノーベル文学賞候補だった男!
穂村 今回は「自殺」という重いテーマだったけど、先生、なんだかとても生き生きしているね(笑)。
(第5回に続く)
春日武彦✕穂村弘対談
第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談
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春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。
穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』
ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・