一方、科学の世界では「女性」が「女性」というだけで、能力を評価されてこなかったというエビデンスが数多く存在します。
特に世界的に注目を集めたのは、、1997年にスウェーデンの医学者、WennerasとWoldによって書かれた論文です(C.Wenneras & A.Wold; “Nepotismand Sexism in Peer-Review”, Nature, 1997.)。
WennerasとWoldは、「スウェーデン医学研究評議会による研究費補助金の審査過程で男性は『男』というだけで高く評価され、女性は『女』というだけで低く評価されていた」という事実を、統計的な分析から明らかにしました。
さらに、審査員となんらかのコネがあることも、審査の評価に影響していたのです。
性差別と縁故主義……。学問に、“王道”が存在していたのです。
Wennerasらによれば、コネを持たない女性が科学業績だけで“ガラスの天井”を破るには、最高ランクの雑誌に男性より20本ほど多くの論文を発表する必要があると推計。それは不可能に近いことを、意味しています。
なんせ、程度の差はあれ、査読付きのジャーナルに投稿して掲載されるまでには、最低でも3カ月、1年近くかかるわけで。男性より20本も多くの論文を発表するなんて、よほどの体力と頭脳と根性の持ち主じゃない限り無理。というか…それでも無理。不可能です。
そこで、スウェーデン医学研究評議会はその翌年から、女性の審査員を増やし、審査過程の透明性を高めました。
ですから、話を戻すと、今回の論考も、その論考を掲載したことも、非難されてしかるべき。とかく女性問題では世界的に遅れをとっている日本は、「アンゲバンテ・テミー」が踏んだ地雷を踏まないよう気をつけなくてはなりません。
みなさんの意見もお聞かせください。
【関連】なぜ私の生き方を縛るのか?性差別を再生産する女性向けサイトの問題点
image by: Shutterstock.com