竹中平蔵氏が抱える心の闇。日本が日本であることへの不信と絶望

 

では、竹中改革が正しかったのかというと、それは全く違うと思います。

1つ目はとにかく全体の成長ということを、全く無視していたということです。2000年代というのは、同じように竹中氏が支えていた森喜朗政権が「IT(イット)革命」を指向していたように、経済成長のためにはコンピュータ化が鍵ということは分かっていたはずでした。

ですが、せっかく「携帯端末でインターネット」というアイディアを世界に先行させたのに「iモード」からスマホへの発展に失敗して全てを失うとか、「デジカメ、薄型テレビ、DVR」がデジタル三種の神器だという時代錯誤的な理解から、ソフト開発を怠ったとか、とにかくバカバカしい経営判断のミスを重ねて日本経済が自滅していった時代でした。

竹中氏は小渕、森の両政権にも関与する中で、そのことを理解しながら、真の改革の実現へ向けて突破口を開くことができなかったのです。

そもそも、郵政民営化の最大の目的は「簡保と郵貯の資金を、公的な財投などの保守的な投資ではなく、完全にリスクのある民間のマネーに転換する」ことであり、そのカネを民間セクターの将来性のあるベンチャーに回して成長路線に向かうためでした。この点に関しても、改革は失敗だったと言えます。

2点目は、生産性の問題です。自動化、脱はんこ、ペーパーレス、対面会議や対面営業の廃止というような、あるいは事務、会計、訴訟の英語化といった改革は、この時点で進めるべきでした。ですが、昭和の暗黒を引きずった財界は動かない、となれば、ズルズルと生産性を失いつつあった日本企業の「日本語と紙と対面コミュニケーションに縛られた生産性の地獄」である本社事務部門を「切る」のではなく、コストダウンをするしかなかったわけです。

確かに90年代から2000年代にかけては、円高に苦しんでいたこともあり、日本国内の事務部門は徹底的な経費削減をしなくてはならなかったのでした。ですが、コンピュータ化は進まない、まして標準化とか、効率的な業務フローや職務分担、専門職化などは昭和世代にはできない、ということで事務部門の実務を担っている部隊は、派遣や非正規としてコストダウンしなくてはならなかったわけです。

終身雇用が止められなかったということも大きく、結局は何もしない高齢世代の高いコストは切れない中で、新卒を減らしたり現場の最も大事な事務部門を外注したり、非正規化したり「ヘトヘト」にさせることになったのでした。

ということで、改革とは名ばかりであったわけです。竹中氏は、そのことを十分にわかる立場でありながら、結局できなかったのです。

ただ、もしかしたら、小渕内閣時代、あるいは短期間ですが森内閣時代にも、竹中氏はそうした発想から本物の改革について様々な提言をして、結局はマトモなアイディアは全部潰されてきたのかもしれません。

ですから、日本経済に取っては「もう衰退しかない」、なぜならば「昭和世代には徹底した改革などする気もないし、そもそもスキル的にできない」という深い絶望を抱えていた、そのような評価も可能です。2006年にスパッと政治と縁を切ったのには、そこに「闇」を見たからなのかもしれません。

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