やってる感だけの政治家が曰う「国民目線」の「国民」とは誰なのか?

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首相や大臣をはじめとする政治家が好んで使う「国民目線」という言葉。しかし、そこで語られる「国民」とは具体的に誰を指しているのでしょうか。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では著者で健康社会学者の河合薫さんが、「国民目線」とは属性によって大きく変わるものとした上で、現在、政権与党の政治家たちが使うこの言葉にまったく意味がない理由を冷静な筆致で記しています。

プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

「国民目線」とは、どの「国民」なのか?

今回は「国民目線」についてあれこれ考えてみます。

国民目線――。

この言葉を政治家が好んで使うようになったのは、いったいいつからなのでしょうか。

先週の金曜日(4日)に行われた記者会見でも、「菅内閣において重要なのは、変化に対応するスピードと国民目線の改革」と菅首相は訴えました。

菅首相だけではありません。多くの政治家か、多くのメディアが「国民目線」という言葉を滅多矢鱈に使っています。

そして、「国民目線」という美しい言葉を使うことで、「ちゃんとやってます!」「国民のために働いてます!」「決して私利私欲で働いてるわけじゃないんです!」と政治家は自らの政策の正当性を主張し、その言葉を聞いた人たちも「国民目線」という言葉が醸し出す“空気”に安堵するのです。

でも、その「国民」って、いったいどの「国民」を指しているのでしょうか?

「自分を支持する人たち」=「国民目線」。こう解釈してるのではないか?そう思えてなりません。

日本には約1億3,000万人の人たちがいるのですから、その人の数だけ「国民目線」はあります。

ある人が喜ぶことをすると、逆に悲しむ人もいるでしょう。同じ人でも、そのとき自分が置かれた状況で「国民目線」もかわるでしょう。どんな場所に住んでいるのか?どんな仕事についているのか?どんな雇用形態で働いているか?年齢は?性別は?などなど、属性によっても「国民目線」は大きく変わるはずです。

この“当たり前”を考えれば、「国民目線」という言葉を、伝家の宝刀のごとく使えるはずがない。

国民の代表である政治家が、どうしても「国民目線」という言葉を使いたいなら「自分を支持しない人の目線」をもっと大切にすべきだし、「自分が進めている政策」からこぼれ落ちている人の目線の側に立つべきです。

大きな声の国民より、むしろ小さな声を拾い上げる。その手間のかかる作業を徹底して、はじめて「国民目線」を感じ取ることができるのではないでしょうか。

そして、今。コロナ感染拡大は、多くの人たちから日常を奪いました。しかし、その影響は決して平等ではなかった。

「これまでも申し上げていますように、国民の命と暮らしを守る、それが政府としての最大の責務です」――。

菅首相は記者会見でこう述べましたが、「暮らしが守れず、命を断つ国民が急増しているじゃないか!」と、私の脳内の猿が暴れるのです。「医療現場の人たちが疲れきってるじゃないか!」と、脳内のウサギが叫び続けるのです。

政府が進める政策や対応からは、弱い立場の人を最優先で救済するという人間倫理の根幹が見えない。…こう思うのは私だけなんでしょうか?

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