軍事アナリストが指摘。ミャンマー国軍をそそのかした中国と習近平の影

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2月1日にクーデターを起こしたミャンマー国軍に対し、国連安全保障理事会は4日「深い懸念」を表明し、アウンサンスーチー氏らの即時開放を求めました。しかし、声明に「クーデターを非難する」との文言は盛り込まれませんでした。メルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する軍事アナリストの小川和久さんは、ミャンマー国軍が行動を起こすとすれば、欧米各国がコロナ対応に追われる「いまだった」とタイミングの問題を指摘。その背後には、これまでもミャンマー国軍の行動を擁護してきた中国からのサジェスチョンがあった可能性をも見ています。

「クーデターなら、いまでしょう」

ミャンマーで国軍によるクーデターが起き、大統領の上位に位置する国家顧問のアウンサンスーチー女史ら指導的立場の人々が拘束されるという事件が起きました。

「ミャンマーでは1日、軍がクーデターを実行し、アウンサンスーチー国家顧問やウィン・ミン大統領のほか与党の幹部を相次いで拘束するとともに、期間を1年間とする非常事態宣言を出して、軍のトップのミン・アウン・フライン司令官のもと、全権を掌握しました。(後略)」(2月2日付NHK)

国軍は、昨年11月の総選挙での惨敗について選挙に不正があったとして、選挙管理委員会などに異議を申し立てていましたが、認められず、国際的な選挙監視団体からも異議を否定されて、強行策に転じたものとみられます。

ミャンマーは1962年の軍事クーデター以来、50年にわたって軍事政権が続き、民主化を求めるNLD(国民民主連盟)の指導者スーチー女史は2010年までの21年間、3回も自宅軟禁の状態に置かれました。それでもスーチー女史が殺害されたり、投獄の目に遭ったりしなかったのは、1947年に暗殺された父親のアウンサン将軍がビルマ建国の父として国民の圧倒的な信頼を勝ち取っており、スーチー女史に手をかければ国民の怒りが爆発すると懸念したからです。

スーチー女史は1991年にノーベル平和賞に輝きますが、授賞式には出席できず、英国在住の夫マイケル・アリス氏(1999年に死去)が代理で出席しました。2015年の総選挙でNLDが圧勝すると、スーチー女史は2016年、国家顧問という肩書きでミャンマーの最高指導者に就任します。大統領に就任しなかったのは、ミャンマーの憲法が、外国籍の配偶者または子のいる者の大統領就任を認めておらず、子息の英国国籍が障害になったためです。

昨年11月の2回目の総選挙の結果は、NLD396議席に対して軍部に近いUSDP(連邦団結発展党)は33議席と惨敗は隠しようもなく、半世紀以上も特権と利権を手中に収めてきた軍部には、強行策しか自分たちの権益を守る手がなかったと言えます。

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