メディアすら偏向。高知小2水難事故に見た田舎町の静かな全体主義

 

失われた子どもの達の目の輝き

子ども達の表情を見れば一目瞭然なのだ。証言をしたい、いじめから友達を救いたいと立ち上がった友人でもある証言者らは、大人の歪んだ村意識と全体主義によって、その気持ちをもがれてしまったのだ。

うだつの上がらない大人の歪んだ世界観が、子ども達に大人とはこうあるべきという誤ったメッセージを伝えてしまっているように私は感じた。

子ども達の目の輝きは消え、彼らはきっと、現状は正しいのではないと思いながらも次の被害者が出る教室へ戻ることになるのだ。そして、次の被害者は誰なのか怯えながら、少なくとも自分が被害者にならにように、加害者らには従順になり、心の奥に引っかかる被害者であった友人をそのうち疎ましく思うのだろう。

こうやっていわゆるのどかな田舎は被害者を排除しながら、見掛けだけの平和を維持しようとするのであり、いわゆる全体的なアンケート調査では、事実が浮かび出ないのである。これは、現場で起きていることと机上の空論の乖離とも言えるだろう。

メディアすら歪む

前述の高知県小学生水難事故では、この3月になってやっと下田川の堤防に「警告看板」が設置された。最も早くに報じた地元NHKは、この現場から歩いて3分もかからないご遺族に取材の申し込みすらせず、教育委員会のみのコメントを報じた。

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私もこの事案にはずいぶん長く関わっているが、ご遺族が誰もが入れる状態である川に少なからず警告看板を立てるべきだと申し出たのは2019年のことであったはずだ。

それから1年半、警告看板をつけるようにという話は何度も出てきたが、そのたびに何となくスルーされていた。市議会の質問でも出た話でもあるが、その時、南国市教育委員会は地元の理解を名目にして協議中だとしていたのだ。

結局、お隣、高知市の市議さんや新たについたご遺族の代理人弁護士などが地道な交渉を重ね、やっと設置に至ったのだ。

前述の報道ではそうしたことが一切書いておらず、まるで南国市教育委員会が努力の末、やっと設置にこぎつけたような印象すら与えるように構成されている。

この事案は当初から報道の動き方がおかしく、地元紙では提灯記事が飛び出る始末であったが、全体主義が広がれば当然に報道も歪むのである。

たが救いはある。

それは、ネットユーザーによる善意の協力である。また、問題が継続することで隠れキリシタンのように隠れ支援者が増加傾向にあるということだ。設置看板にしても、この事案をまるでなかったことにしようとしていた勢力からすれば、ある意味、看板がある限り、目に見える物として忘れようがない事実となるのだ。

※ 第2期署名は継続中です
team_hinakun 高知県小学生水難事故

いずれ地方にはびこる全体主義は淘汰される運命だろう。理由は若者の人口流出だ。

前述の通り、私が見た子どもたちの目は、静かに無意識の反骨となり、地元を捨て自由な都市部に向かうのであろうと思うのだ。彼らは「うっせぇーわ」を口ずさんでいた。

どんなに団結しても理不尽なルールは時代の流れには逆らうことができない。いずれ限界集落となり、人口減少が止まらず産業が廃れていくのだ。コロナ禍で発達したテレワークであっても、適度な地域に人口が分散する程度で、移住はさほど進まないであろう。

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