2000年に導入された『介護保険制度』によって、日本の高齢者たちは大きく生活を変えることとなりました。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんが取り上げているのは、その介護社会の問題を提起している一冊。病院から老人がいなくなっていく理由を語っています。
偏屈BOOK案内:小嶋勝利『もはや老人はいらない! 長生きが喜ばれない介護社会の大問題』
『もはや老人はいらない! 長生きが喜ばれない介護社会の大問題』
小嶋勝利 著/ビジネス社
「実は、コロナウイルス感染症は、世界中から生産性の低い高齢者を一掃しよう、という悪巧みがあるのではないか」というトンデモ話も聞こえてきた。
という著者は、老人ホーム運営コンサルティングの専門家。今回の新型コロナ騒動の高齢者に関することは、特段のトピックスではない、という。
一定の年齢、これを著者は平均寿命を超えた高齢者と捉えているが、この領域に入っている人は、いつ何が起きてもおかしくない。ヒトの死亡率は100%である。このあたり前を自分の日常として、簡単に受け入れられる人は多くない。
現在、電車の中吊り広告の風景から「介護」のキーワードがずいぶん少なくなったようだ。著者の予感では、今後、「安楽死」「尊厳死」「看取り」といったキーワードが大量に出てくるはずである。
医療は病気や怪我を治すためにある。介護は人の生活を支えるために存在する。曖昧だから、割り切れないことばかりである。そこをどうやって折り合いをつけていくのか、ここが一番重要なことなのだと筆者は力を込める。
いまの介護現場は、机上の空論である介護保険制度に振り回されている。医療現場と同じで、エビデンスと証拠記録が重要であり、それ以外の仕事は余計なことであるとし、報酬の対象にはならない。
いくら懸命に取り組んでも、単に介護職員が忙しくなるだけで、積極的にやろうという会社はない。著者は断言する。「これからの高齢者は『自分で口から栄養を摂れなくなった時点で人生は終了』となっていくはずである」、と。
著者の主張はシンプルだ。「要は、介護保険制度開始前の状況に戻せばよいだけなのだ」。
2000年以前は、介護保険制度はなかった。高齢者の大部分は、家族、そして病院が担っていた。自宅で生活がままならなくなった、要介護状態の高齢者に対し、治療の目的で病院に入院させ、死ぬまで病院で面倒を見る、ということが一般的だった。当時は「老人病院」と呼ばれていたような記憶もある。