「オイ菅、お前、総理大臣のくせに陛下のお言葉中に起立するなんてアリエネーだろ……」
はっきりいって、これ一発で僕なら菅を辞任させたいくらいです。
我が国は残念ながら二流国、三流国に凋落し続けてはいますが、最後の最後に世界中から敬意を払われるものがあるとすれば、もはや(三島由紀夫がそう喝破したように)、世界唯一の「Emperor」である天皇陛下しかおられないのです。
にも関わらず、陛下が宣言のお言葉を述べておられる時、菅総理は着座のままでした。そして陛下のお言葉中に慌てて起立したのです。こんな無礼な事はありません。しかも、その姿は下記動画の形で、世界中に配信されたのです。
許せません。https://t.co/GwmA7KIIcL
— 藤井聡 (@SF_SatoshiFujii) July 24, 2021
国民の代表たる首相が、世界唯一のEmperorに対するこの無礼は、日本国民それ自体が陛下を敬っては「いない」ことの象徴だと世界が認識したとしても致し方無いように思います。もうこの一点だけで、菅総理は万死に値すると、当方は考えます。
結果、これを見た世界の人々は、「日本人ってなんて無礼な国民なんだ」と思うと同時に「なんだ、日本人って天皇陛下のことを敬ってるわけじゃないんだ」と思ったことでしょう。つまりこの菅総理の振る舞いは、第一に日本人の礼節の無さを世界に喧伝する事を通して日本国民の評価を大きく引き下げるものであると同時に、陛下の権威に傷を付けるものとなっているわけです。
「なんで、歌舞伎こんな少ないねん……」
僕は五輪の開会式というのは、世界中が注目するのみならず、これから何十年も、場合によっては何世紀も振り返られる世紀の大イベントだと考えています。
ですから、この国際イベントにおいて重要なのは、「現在のノリや空気」でなく、「諸外国から見て『日本ってさすがだな』『素晴らしいな』と思われる事」であり、何十年後の将来から振り返っても「あの頃の日本ってこうだったんだな、素晴らしい演出だったな」と思い返されることなのです。
そんな時、寸劇だとか、タップダンスだとか、ジャズピアノとかは、全部日本のものとは言い難いものばかりで構成されており(それらについては、後ほど突っ込みを入れたいと思います)、日本は素晴らしいと思わせるものとは、僕の目には全く映りませんでした。
ただし、その中でも市川海老蔵の歌舞伎の演出は、さすがプロフェッショナルな動きで、見ていて安心できるもので、ほっとしたのですが……その時間は一瞬で、しかもジャズピアノとのコラボということで、歌舞伎らしさはほぼ表現されていない状況だったのです。
おそらく、この演出家は、日本って言うものの中で、歌舞伎みたいな「べた」なものを出すのが恥ずかしい、もっと現代の日本の最先端を見せるんだ、なんて思ってたであろうことは容易に想像できるのですが、そんな風な認識を持ってるのは、日本人だけ。外国から見れば日本らしいものと言えば、歌舞伎であったり、今回全く活用されなかった雅楽であったり太古や三味線などの純和風のものなのです。
それを恥ずかしいと思う演出家のセンスは、世界スタンダードから大きく乖離しているのみならず、日本の伝統に対する無理解に根ざしたものと言わざるを得ないものでしょう。
この程度の演出しか出来ない我が国のレベルに、当方は心底恥ずかしい思いをした次第です。
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