軍事アナリストが嘆いた「タリバンと話せる日本人」が一人もいない現実

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アフガニスタンから米軍が撤退するや、タリバンがあっという間に権力を掌握したことを受け、日本政府は15日に大使館を一時閉館し、大使館員12人を友好国の軍用機で出国させました。しかし、アフガニスタン人の協力者などはそのまま置き去りになっていると伝えられています。現在の状況に「イラク復興支援のときの教訓が生かされていない」と嘆くのは、メルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する軍事アナリストの小川和久さん。現地での人脈作りの重要性を改めて説き、今の日本は「国の体をなしていない」と厳しく指摘しています。

タリバンと話せる日本人、一人もいないのか!

アフガニスタンの親米政権があっという間に崩壊しました。2001年9月11日の同時多発テロと、それに続くアフガン戦争、イラク戦争をマスコミで軍事専門家として解説し、同時に日本政府の政策のいくつかに関わった身として、色々な思いが去来しています。ここでは日本が教訓とすべき地域研究への取り組みの問題について考えたいと思います。

報道の端々から伝わってくるように、アフガンもイラクも、そして中東のすべてが部族社会であり、そこに宗派や軍閥の問題が絡んでいます。そうした地域において、いかに日本が平和主義を掲げ、人道支援に取り組もうとしても、人を押さえ、人でつながっていなければ、うわべだけの関わりに終わってしまいます。

いまの日本に、アフガンのタリバン、有力な軍閥や部族のリーダーと兄弟のように話をできる人材がいるでしょうか。残念ながら皆無と言わざるを得ません。これは、2004年のイラク復興支援のときの教訓がまったく活かされていない結果なのです。

イラクの時も、現地、そして周辺諸国に有力な人脈を持っている専門家は1人しかいませんでした。東京財団のシニアリサーチフェローを務めていた佐々木良昭さんです。私は飯島勲秘書官を通じて小泉純一郎首相に佐々木さんを紹介し、派遣される自衛隊の安全を図るための教育や現地との意思疎通に関わってもらうことにしました。

佐々木さんは佐藤正久復興支援業務隊長が率いる先遣隊に同行するなど、何回もサマワに足を運びました。佐藤さんは私に「佐々木さんは命の恩人」といっていました。佐々木さんの事前教育がなければ、自衛官に死傷者が出た可能性すらある派遣だったのです。

実を言えば、日本では佐々木さんの評判はよくありませんでした。リビア大学神学部を出ているのですが、当時は大酒飲みで、日本の学者のように綺麗に整った論文を書く訳でもありませんでした。しかも、拓殖大学海外事情研究所の教授時代、研究室で泥酔した学生と日本刀を押したり引いたりしているうちに相手が負傷し、大学を懲戒免職になった前歴があります。

小泉首相が佐々木さんと面会したことが新聞に出た途端、大物の中東学者が教え子のマスコミ人を使って新聞で佐々木さんを攻撃するような動きに出てきました。

しかし、私は30年の付き合いのある佐々木さんの能力が自衛隊のイラク派遣には不可欠だという確信を持っており、それを小泉首相に伝えました。佐々木さん以外の研究者や外務官僚には、上品かつ流暢なアラビア語で、それもベルトから下の話をする能力などなかったからです。男社会ですからベルトから下の話はきわめて重要なのです。日本の中東学者のアラビア語は片言のレベルで、殆どを英語で済ませています。これでは人間的な信頼関係を築くことなどできる訳がありません。

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