元朝日新聞校閲センター長が教える、文章の書き出しが上手くなるコツ

 

書く真似できそうでできない文章の書き出し

もう一つが『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫著・文春文庫)の書き出しです。

旧式の電車はゴトンと一つ後方に揺り戻して止まった。JR上越線の土合駅は群馬県の最北端に位置する。下り線ホームは地中深くに掘られたトンネルの中にあって、陽光を目にするには四百八十六段の階段を上がらねばならない。それは「上がる」というより「登る」に近い負荷を足に強いるから、谷川岳の山行はもうここから始まっていると言っていい。

「ゴトンと一つ後方に揺り戻して止まった」という部分が、まず旅愁を誘う。列車が止まるときの車輪やブレーキの音が聞こえてきそうです。次の土合駅がどういう場所なのかが分かる読者には「ははーん」と思わせ、知らない読者には「群馬県の最北端」への想像の呼び水になります。そして、そこが「地中深くに掘られたトンネルの中」で、要するに地上へ出るには486段の階段を上がらなくてはならない場所だということが提示されます。ここで、通常の駅とは異なることがわかるのです。486段という数字が、想像の具体性を高めるのに効果的です。

さらに、その階段は「上がる」というより「登る」に等しいのだということが書かれ、「谷川岳の山行はここから始まっていると言っていい」と結ぶのです。

シンプルな文の積み重ね

一つの要素で一つの文を書いている典型例だと言ってもいいのではないでしょうか。

  • 1文目=旧式の電車は揺り戻して止まった
    これに「ゴトンと」「一つ後方に」という説明がつきます。
  • 2文目=土合駅は群馬県の最北端に位置する
    これにも「JR上越線」という土合駅の説明が付くだけです。

3文目と4文目は、読点をうまく使って、その前後で要素を書き分けていているので、読者を誤読に陥らせたり混乱させたりすることはありません。

  • 3文目=ホームはトンネルの中にある/陽光を目にするには階段を上がらねばならない
    これに「地中深く掘られた」、「四百八十六段」という具体的な説明がつきます。
  • 4文目=それは「上がる」というより「登る」に近い負荷を足に強いる/谷川岳の山行はもうここから始まっていると言っていい
    ここは、前半部分が一つの要素となって、後半の説明になっています。

非常に端的な文の積み重ねで、少しずつ読者の気持ちを谷川岳に誘導していきます。箇条書きを積み重ねたような文には、無駄がありません。この四つの文は、土合駅を説明しているだけです。それにもかかわらず、ここから始まるドラマの予兆を感じさせるのです。この書き方は、真似できません。

文章に関わる時間が技術を磨く

『枕草子』と『クライマーズ・ハイ』は、重なる部分が多いように思うのです。大学の講義や企業の研修などで「短く端的な文を重ねていく方がいい」「伝えたいことはできるだけ前に出そう」「箇条書きのように書こう」などと言うと、「もっと表現を楽しむように書くことが大切ではないか」という質問を受けることがあります。

文や文章の書き方に正解はありません。読者が誤解しない書き方であれば、それは書き手の個性として認められるべきことだと思います。

村上春樹さんのようにことばを何度も重ねて書いたり、とてもおしゃれな比喩をうまく取り入れたりする手法があります。野坂昭如さんのように、文がどこまで続くのだろうと思う書き方もあります。

僕はどちらも好きなのですが、彼らはずっと文章に向き合い、その結果として生み出した文体を持ったのです。それは、誰にも真似できないものなのです。しっかり文意がとおるし、読みにくいと思ったことがないのです。僕たちが真似をしたら、とても読める代物にはならないでしょう。そこが、プロの作家と僕たちの違いなのです。

僕たちが、彼らのように文章に向き合う時間はありません。そうであれば、できるだけ誤解のないような文章に仕上げて、読み手の理解を得ることが重要です。

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