もちろん、栄一は自由主義の無法地帯を呼びかけていた訳ではありません。現在でも、社会秩序が目まぐるしく変化する中で、法制度の整備が欠落しているという場面があります。
健全たる社会には法制は不可欠です。ただ、栄一が懸念していたことは、法律や規則の存在によって人々が思考停止になることでした。
「余の希望を述ぶれば、法の制定はもとよりよいが、法が制定されておるからと云って、一も二もなくそれに裁断を仰ぐということは、なるべくせぬようにしたい。<中略>社会問題とか労働問題等のごときは、たんに法律の力ばかりをもって解決されるものではない。」(注:同上)
社会における格差などの問題を法律や規則だけで解決することに、渋沢栄一は否定的でした。
勝ち負けという二元論の「か」に留まることなく、Win-Winが生じる「と」を常に目指していたのが渋沢栄一の思想の核心です。
栄一が目指していた新しい時代とは、みんなが豊かになる、今風にいえば、インクルーシブな社会です。
しかしながら、栄一が描いていたインクルージョンとは、みんなが同じになる「結果平等」ではありませんでした。
「もちろん国民の全部がことごとく富豪になることは望ましいことではあるが、人に賢不肖の別、能不能の差があって、誰も彼も一様に富まんとするがごときは望むべからざるところ。したがって富の分配平均などとは思いも寄らぬ空想である。」(注:同上)
では、渋沢栄一が考えていた公平で豊かな社会とは何か。
栄一は約500社の会社のみならず、凡そ600以上の教育機関、病院、社会福祉施設、今でいうNPO・NGOという社会的事業の設立や運営に関与し、公平な、みんなのための社会を目指していたのです。
その社会は、どのような生まれの立場であっても、仮に社会の「弱者」と云われるようでも、自分が与えられている才能、能力、可能性を向上させて、フルに活かし、参画できる「機会平等」というインクルーシブな社会でした。
しかし、このように機会平等・能力主義について述べると、それは「勝者側の視点の話」と取られる傾向があります。
そして、現在の多くの若手は、昭和時代に築かれた「成長」という成功体験に疑念を抱いていることも確かです。
したがって、これからの日本の新しい政権が目指すべき成功体験は、今までの延長線上、現状維持、思考停止、お化粧直しでは実現できません。
単純に目先の成長や所得から生じる果実を分配するという制度設計では不十分であり、分配から生じる持続可能な成長や所得を促す政策が急務です。
「新しい日本型資本主義」は、日本の経済社会というエコシステムの新陳代謝を高めなければなりません。そして、エコシステムの新陳代謝を高めるためには、多様性を促すことが不可欠です。
多様な価値観を取り込めるインクルーシブな国だからこそ、好循環で豊かな社会が実現できると考えています。