麻生“舌禍”副総裁の「厄介道米」発言に自死した教え子を思う

182887222_4546080195439156_5223038001602147855_n
 

総選挙の選挙戦中の10月25日、自民党の麻生太郎副総裁が北海道小樽市での応援演説で「温暖化のおかげで北海道のコメはうまくなった」「昔は厄介道米って言われてた」などと発言しました。この暴言に接し、減反政策に苦しんだ教え子のことを思い出したと怒りを表すのは、メルマガ『佐高信の筆刀両断』著者で評論家の佐高信さんです。日本のビジョンのない農業政策の中でも、2017年まで50年続いた減反政策が、志のある農家をどれだけ苦しめ、ついには死に追いやっていったのかを綴っています。

麻生発言と教え子の自殺

「温暖化したおかげで北海道のコメはうまくなったろ」と、一度は首相をやったこともある麻生太郎が衆院選の応援演説でほざいた。小樽の街頭演説でである。

北海道米は“厄介道米”といわれていたなどとも放言したらしい。温暖化は悪いことばかりではないとして、こんな発言をしたのだが、これを知って私は、2008年に自殺した教え子のことを思った。私が山形県立庄内農業高校に勤めていたころに社会科を教えた斉藤健一が減反を拒否して追いつめられ、58歳の命を絶ったのである。

いま、日本の食料自給率は4割を切っている。アメリカから小麦は5割、大豆は7割も輸入している。アメリカべったりの外交は農業をもひずませているのだが、減反見直しなどとも言い出して、まったく、この国にはきちんとした農業政策がない。政策、政治がない、ノー政なのだ。麻生太郎ならぬ阿呆太郎が首相になるくらいだから、将来を見通した政策など、望む方が無理なのかもしれない。

しかし、あまりにバカバカしい暴言だけに改めて自殺した教え子の無念さを思わずにはいられないのである。減反を拒み、減農薬無化学肥料の稲作にこだわった斉藤は「集団的制裁を手段とする減反政策に反対する」裁判で、こう陳述した。1996年秋のことである。

「私は農家の8代目で、約3ヘクタールの水田と1・3ヘクタールの畑と柿の果樹園を持っています。1970年から減反が始まりましたが、第1次は強制ではなかったため、田んぼを大きくする目的で減反に協力しました。しかし、1976年から始まった第2次減反は、政府買付数量の消滅や未達加算という罰則を伴うものでした。仲間と勉強会を重ねた結果、減反政策は国際分業論を背景に、農民の首切り、農村の再編成をめざすものという結論に達し、減反拒否を決意しました」

遺書となってしまったこの陳述は、すると、集落の生産組合長からは「集団加算金が出ないから協力してくれ」と言われ、農協の組合長からは「みんなが我慢してやっていることをやらないのはわがままだ」と恫喝された、と続く。

青年部の飲み会に出たら、「国賊」と罵られもしたという。当時、就いていた村の役職からはすべて外された。役場の職員からは「町へペナルティが来ないのは、君の分をまわりが肩代わりしてくれているからで、そんなわがままをしていると誰も君を相手にしないぞ」と言われ、村の仲間からは「あいつがわがままを通しているのが許せない」と反発された。斉藤はこう述懐している。

「自分が共同体に寄せる思いと、共同体からの締め付けから孤立感にさいなまれ、毎年、転作割当面積が配分されてくる春先は、精神的に相当まいりました」

仲間の中には「減反しないなら集落に配分される集団加算金360万円を自分で負担しろ」と脅されて断念したり、父親から「村に迷惑をかけるなら出て行け」と言われて、泣く泣くその意思を曲げた者もいたのである。

image by: 財務省 - Home | Facebook

佐高信この著者の記事一覧

活字にならなかった本当の想いを届けなければと、アナログ代表が初トライします。政治、経済、教育、文学etc。質問にも答えて行けたらと思っています。

有料メルマガ好評配信中

  初月無料で読んでみる  

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 佐高信の筆刀両断 』

【著者】 佐高信 【月額】 ¥880/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎月 第1〜第4金曜日(年末年始を除く) 発行予定

print
いま読まれてます

  • 麻生“舌禍”副総裁の「厄介道米」発言に自死した教え子を思う
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け