反党分子として処された父と正反対の政策を打ち出す習近平の野望

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反日教育を徹底し、さまざまな規制を国民にも強いる中国共産党。その歴史には裏切り、陰謀、虐殺が繰り返されていました。無料メルマガ『1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』』では、その一部として習近平の父である習仲勲が反党分子として処され、失脚させられるまでの詳しい話を著した一冊を紹介しています。

【一日一冊】習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐

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習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐

遠藤誉 著/ビジネス社

中国のチベット侵攻があった1950年頃、小学生であった著者は中国で中国共産党による社会主義体制への移行を目にしていました。

同じ頃、習近平の父、習仲勲西北局長は西北区でウイグル人を弾圧する王震に対し融和策を指示しています。

これを無視されると、習仲勲は毛沢東の仲裁を受けて、王震は更迭されます。王震は習仲勲を深く恨みました。

その後、文革で習仲勲は反党分子として失脚してしまうのですが、文革後に習近平が習仲勲の政治復帰をお願いして廻ったときに、拒絶したのが副主席にまで出世する王震だったのです。

1952年…新疆(ウイグル)…共産党に反抗する者がいたら、王震は周辺を巻き添えにしながらすべてを「反革命分子」として鎮圧し、皆殺しにした(p127)

同じ1952年に毛沢東は地方の行政区の「建国の将」を北京に呼ぶのですが、この5人のうち高岡と習仲勲が失脚します。

1954年に高岡は反党行為をしているとして鄧小平に批判され、あまりの攻撃に自殺するのですが、著者は3つの証拠を示して鄧小平の陰謀であったとしています。

1962年に習仲勲は反党小説を主導したとして失脚するのですが、この本では状況証拠を5つ並べて、鄧小平の陰謀であったと推察しています。

鄧小平は毛沢東の信頼を受けている高岡、習仲勲を追い落とすことにより、中央での勢力を拡大したのです。

さらに鄧小平はベトナムとの戦争を仕掛け、主席である華国鋒を追い込み、軍権を奪取して毛沢東の死により中国の実質的な指導者としての地位を確立することになるのです。

文革が起きて近衛兵らが習仲勲に対する批判大会を大々的に開催し、西安に移送して激しい辱めと暴行をくり返していたことを知ると、毛沢東は習仲勲が暴行を受けないようにするために北京郊外にある解放軍の駐屯地のような場所に移して、外界から遮断した(p159)

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