平和ボケよりタチ悪い。自分は大丈夫という思い込みが日本を滅ぼす

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国内外から指摘され始めて久しい、日本人の危機意識の低さ。ことに外的脅威に対しては、「自分とは無関係」とすら思い込んでいる節があると言っても過言ではありません。何が平均的日本人に、このような考え方を抱かせているのでしょうか。今回のメルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』ではジャーナリスト・作家として活躍中の宇田川敬介さんが、日本人の国民性を軸にして、その思考形成における特徴や問題点を考察しています。

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「平和ボケ」という言葉と日本人の認識

前回、日本の防衛に関する内容を書いてみた。

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まずはウクライナと日本を比較し、そして前回は、日本の「危機管理」ということに関して、基本的には「自然災害」を想定したものばかりで、人為的な危機を想定したものがほとんどないということではないかと思います。

もちろん「人為的な危機」という状態に関して、必ずしもウクライナ侵攻のような「戦争(軍事侵攻)」ばかりではなく、テロや通り魔のような無差別殺人のような犯罪、組織犯罪などに関しても、その内容はあまりよくできていないのではないかと思います。

1995(平成7)年3月20日に東京都の地下鉄霞が関付近で発生した「地下鉄サリン事件」は、ある意味で日本におけるテロ対策の問題を提示した一つの大きな問題ではなかったかと思います。

非常に不謹慎な言い方をしますが、あの時の東京メトロは、当然「サリン」などというような神経ガスによるテロが発生したとは思ってもいなかったでしょう。

もしも早期に化学兵器的なテロであると判断ができていたならば、またはその疑いを持っていたのであれば、もう少し違う対応があったのではないかと思うのです。

実際に、丸ノ内線では、中野坂上駅で乗客から通報を受けた駅員が重症者を搬出し、サリンを回収したが、列車はそのまま運行を継続し終点荻窪駅に到着します。

そして新しい乗客が乗り込みそのまま折り返したため、新高円寺駅で運行が停止されるまで被害者が増え続けることとなったのです。

つまり、中野坂上の時点では乗客個人の体調不良と判断され、サリンによるテロであるというような感覚は全く持っていなかったということから、被害が拡大してしまったということになるのです。

また霞ヶ関駅では、千代田線で被害が出てサリンが入っているとは知らずにパックを除去しようとした駅員数名が被害を受け、うち駅の助役と応援の電車区の助役の2人が死亡し、231人が重症を負うという被害が発生しています。

このように、「まさか」という感覚がなく、通常の平時の対応をしてしまうということから、被害を拡大した一つの例ではないかと思います。

もちろんこのことで東京メトロを問題視することはできないと思われます。

日本人は、「そんなことはあるはずがない」と思ってしまい、被害を大きくしてしまう性質があります。

通常危機ということに関しては、当然に「現象から考えられる最悪の状態を想定して行動する」ということが危機に対する対処であることは言うまでもありません。

しかし、日本の場合はそのようにしてしまうと「大げさな」とか「そこまでしなくても」などというような声が上がってしまうということになります。

つまり、管理担当者や危機管理者が、最悪を考えて行動をしていたとしても、他の国民の多くは「危機などはあるはずがない」というような感覚でいるということになるのです。

要するに、「危機などはあるはずがない」ということが、基本的には日本人の通常の感覚になり、最悪の構えをすれば「大げさ」というようなマイナスの評価をしてしまうということになるのです。

これは一つには「自分たちには被害がない」というような、根拠の無い自信があるということになります。

ここに「根拠がない」としっかりと書きましたが、なぜ根拠がないのに自信があるのでしょうか。

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