平和ボケよりタチ悪い。自分は大丈夫という思い込みが日本を滅ぼす

 

ここで多くの日本人の保守系で安全保障を真剣に語っている人の中に「平和ボケ」という言葉が出てきます。

日本人は平和ボケをしているから、そのようなことになってしまっているというものです。

しかし、実際にそうでしょうか。

もちろん平和ボケをしているということはありますが、「戦争反対」を言うだけで「戦争が無くなる」とはいってもテロや犯罪が無くなるとは全く言っていないということになります。

つまり「テロ」という人為的災害すらも全く入れていないということが「平和ボケ」という単語でひとくくりにしてしまってよいのかということも検証しなければならないということになるのです。

そのような意味で言えば、基本的に「犯罪」だけではなく、例えば自然災害の時も「自分だけは大丈夫だ」と思って、警告にかかわらず外に出てしまって犠牲になってしまうような話も少なくないということになります。

台風の日に、海に見物に行ってみたり、中には、サーフィンを楽しんでいて流されてしまったような例もありますし、船や田畑を見に行って被害に遭う場合もあります。

また、3.11の時に、家に引きこもってしまって、津波に巻き込まれたような例もあります。

これらの減少もすべて「平和ボケ」でかたづけられるのかといえば、そうではないのではないでしょうか。

つまり日本人の場合、何か自分は守られていて、自分だけは関係がないというような感覚を持っているということになるのです。

もっと別の言い方をすれば、犯罪などを自分の事と思わずに、どこか他人事と考えてしまい、危機が迫っていることを認識できない人が少なくないということになります。

これは、日本人の国民性であり、「常に日常的な感覚を持ち続けている」ということになります。

逆に言えば、「現在言われている緊急事態(戦争状態など)が日常になった場合には、その内容に慣れてしまうことが強いので、かなり様々な意味で対応ができるようになる」ということにもつながるのです。

そのうえで「平和ボケ」という言葉の定義を少し広げて、平和の日常から抜け出ない性分があるということになれば、それは災害の種類が自然災害であっても、また人為的災害であっても当てはまることになります。

そして、そのような国民性を利用し、そのうえで、その国民性を使って戦争をしない、もっと言えば自分で自分の国を守らせないようにしている勢力があるということも間違いない事実であり、それに対しても日常的に受け入れてしまうということになるのです。

このように考えると、「緊急事態」をなかなか認識できない、もっと言えば「何事もないということが日常になってしまっている(自然災害を含む)状態をどのように現実にしなければならないのか」ということが日本人に対する課題であるということになります。

さて、このようなことを考える中で、もう少し日本人の現状の思考を考えてみましょう。

対策を考えるのは後でよいと考えます。

まずは現状をしっかりと分析して、その上であまり時間がないので、最も効果的な内容をしなければならないからです。

そこでまずは戦争が始まりそうであるという認識が日本人にあるかということを考えてみましょう。

日本人の場合、残念ながら、「日本が戦争になる」というような認識をしている人はほとんどいないということになります。

もっと単純に言えば、隣の国で戦争をしていても日本は全く戦争がないというような感じではないかと思うのです。

明日戦争が起きるというような状況であっても、もしかしたら、日本のどこか一部で戦争が起きていたとしても、自分自身が巻き込まれないのであれば、残念ながら日本人は戦争になるというような認識はないのかもしれません。

世界の今が分かる、宇田川敬介さんのメルマガ詳細・ご登録はコチラ!

 

print
いま読まれてます

  • 平和ボケよりタチ悪い。自分は大丈夫という思い込みが日本を滅ぼす
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け