自由になるための手段。“リベラル・アーツ”の正しい考え方とは?

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よく耳にする「リベラル・アーツ」という言葉。教育の現場で聞くことが多いと思いますが、きちんと理解している人は少ないかもしれません。近年注目されているこのリベラル・アーツは何のために必要なのでしょうか。今回の『施術家・吉田正幸の「ストレス・スルー術」』では、整体院を独立開業しながら様々なビジネスなどの悩みに応じてきた吉田正幸さんが、リベラル・アーツについて詳しく語っています。

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“自由”になるための“手段”

最近、「リベラル・アーツ」が再び注目を集めているし、何かとても気になっていた。

独立研究者・著作家の山口 周氏は「リベラル・アーツ」の定義を単に「教養」ではなく、「“自由”になるための“手段”」としている。

己を縛り付ける固定観念や常識から解き放たれ、“自らに由って”考えながら、すなわち、自分自身の価値基準を持って動いていかなければ、新しい時代の価値は創り出せない。そんな時代を私たちは生きているとも言っていますが、本当にそう思います。

僕は学校の勉強は好きではありませんでしたが“芸術”“美術”“音楽”“哲学”“宗教”というキーワードにはなぜかワクワクとして服飾系の専門学校に入学してからはデッサンや造形美術に没頭しました。

それと同時に哲学や宗教の書籍にハマって本気でインドへ行くことを考えていましたが、当時は疫病が怖くて断念しました。あの時、もしかしたら出家していたかもしれません(笑)

リベラルアーツと一般教養は違います。一般教養とは、専門的知識や職業的技能ではなく、社会人として働いていくための必要最低限持つべき知識です。

一方、リベラルアーツは、教養という知識をスキル化することが目的であり、明確な答えがない問いに対して対処します。

専門学科としてリベラルアーツを習得できるため、この点でも一般教養とは違いがあります。“自らに由って”自分の中の自分を見つけるためにもリベラル・アーツはとても大切なキーワードだと感じます。

日本の大学では一般的な浅く広い教養を学ぶよりも、それぞれの学部に特化した専門的なものを勉強・研究することに重きを置いていました。

現に日本の大学に入学する際には学部ごとの入試となっており、入試の科目数もごくわずかになっています。得意な教科を絞り、少ない科目を突き詰めていくことが大学合格の近道となっているのです。大学入学後は専門教育のために教養を勉強するという仕組みになっています。

ところが、それに比べて世界大学ランキングの上位を占めるアメリカの大学では、学士課程(大学の学部)の4年間を通じて教養を教えています。

そうした大学のことを「リベラルアーツカレッジ」と呼んでいます。専門教育のための教養という位置づけとしていないという特徴があります。

最近、リベラルアーツの必要性が高まっている背景として、グローバル社会に対応するためや、固定観念なとらわれない考え方が求められているなど、いくつかの理由が挙げられます。

健康産業も施術業界に関してもこのリベラル・アーツはルネサンス的な意味合いがあるような気がしてなりません。必要である理由を上げてみました。

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