中華人民共和国が国連に中華民国の追放を最初に提起したのは1949年11月18日で、以後「中国代表権問題」と呼ばれ、長らく提議されては否決され続けてきました。
中ソ対立が鮮明となった1950年代後半以降も1964年第18回国連総会、1968年第5回国連緊急特別総会、1970年第25回国連総会においてもアルバニアなどから類似の提案がなされましたが、いずれも否決されています。
転機となったのは、アメリカ合衆国がベトナム戦争において泥沼化し、北ベトナム(ベトナム民主共和国)との停戦交渉を進める中で、中華人民共和国の協力が必要となったことからといわれています。
アメリカ合衆国は中華人民共和国の協力を得るため、国連安保理常任理事国の継承は合意しましたが、中華民国の国連追放までは考えていませんでした。
1971年7月中旬、アルバニア、アルジェリア、ルーマニアなどの共同提案国23ヵ国が「中華人民共和国政府の代表権回復、中華民国政府追放」を趣旨とするアルバニア決議案を、国際連合事務局に提出します。
その後、中華人民共和国側は、「中華民国」の国連追放ではなく、「蒋介石の代表」の国連追放と文面を改め、当時友好国であったアルバニアを経由し「国府追放・北京招請」決議案を1971年9月25日に第26回国連総会に提出します。
総会では、議題採択等をめぐり一般委員会や本会議等で中華民国追放支持派と反対派の間で激しい論議が展開されました。
表決に先立ち、中華民国代表は“これ以上総会の審議に参加しない”旨宣言し、総会議場から退場し、アルバニア決議案が賛成76、反対35、棄権17、欠席3で通過します。
このアルバニア決議案通過を受け、二重代表制決議案は表決に付されず、後に中華民国は、国連(及び加盟する各専門機関)からも脱退を宣言することになるのです。
いわゆる「アルバニア決議」といわれる内容です。
この台湾の国連脱退後、中国はよりいっそう「一つの中国」の主張を大きくします。
特に中華人民共和国政府は、これを自国の核心的利益であると主張し、「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府である」との意味合いから、諸外国に対してこの考えに同調するように強い圧力をかけているのです。
また現在の国際社会では、中華民国を国家承認する国家が少ないため、「一つの中国」は中華民国を国家として承認しないという要求と同義として解釈される傾向が強くなっています。
ただし、アメリカの公式文書には「『一つの中国』を認める」とはなく、「中国が『一つの中国』という概念を主張していることを認識する」というような書き方になっており、アメリカ自体が一つの中国を完全に認めたわけではないということになっています。
さて、このような状態から、徐々に台湾の孤立化が進み、そして2020年くらいから、習近平国家主席の年初会見では、必ず「台湾の併合」ということが言われるようになっているのです。
(メルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』2022年6月6日号より一部抜粋。続きはご登録の上、お楽しみください。初月無料です)
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