中国の横暴。何を根拠に「台湾は自国の不可分の領土」と言うのか?

 

この時になって、中国は「海」の重要性がわかってくることになります。

それまで大陸国家であった中国が、なんとなく「海も重要なのではないか」というようなことを考えるようになったということになるのです。

しかし、それは現在のような状況ではなく、なんとなく「貿易」とか「海からくる敵」ということを認識するようになるということになるのではないでしょうか。

その流れから、台湾を、それまで「化外の地」とか「倭寇の拠点」といっていたのに、中国の領土であるというように認識し始めます。

そして、それが日清戦争の日本の勝利によって下関条約で、日本が台湾の支配権を得ることになるのです。

その台湾支配権の黎明期は、軍人が台湾総督になります。

この部分に関しては『我、台湾島民に捧ぐ 日台関係秘話』の中に、小説調で書いています。

よろしければ、その台湾の総督の話、特に軍人総督の話は、皆さんも一読いただければありがたいです。

ちなみに、特に第四代総督の児玉源太郎と、第七代総督の明石元次郎、いずれも日露戦争の英雄ではありますが、この二人の総督に関しては、今でも台湾の人々に慕われている名総督であったといえます。

そして太平洋戦争によって敗北し、日本がサンフランシスコ講和条約に調印すると、日本は台湾の支配権を放棄するということになります。

実際はこの時点で「中国に属する」とはどこにも書いていません。

しかし、なし崩し的に中国がそれを支配することになり、その上で、国共戦争で敗北した蒋介石が共産党から逃れ、台湾を占領するということになります。

毛沢東率いる中国共産党が大陸を支配し、そして、それまで大陸を支配していた国民党が台湾を支配するということになります。

ちなみに、その国共戦争は現在も終戦をしているわけではありません。

つまり、中華人民共和国なのか、中華民国なのか、そしてその二つの政府が一つの国の中に併存しているのかあるいは二つの国家なのかということは、少なくともこの二つの政府の条約などでは全くわからない状態になっています。

どうも中国という場所や民族は、これらのことを決めることが苦手であり、そのままなしくずし的に物事を形成してゆく癖があるようで、何か条約などがあってもなかなか守らない状態にあります。

そして、この国民党と共産党の対立のまま、現在に至るということになります。

この意味では、実は朝鮮半島とほとんど同じで、北朝鮮と韓国が分かれているかのように、台湾と中国大陸で別れているというような感じになったのです。

そもそも、「連合国」に参加していたのは台湾の方でしたが、1972年2月にアメリカのニクソン大統領が中国と事実上の外交関係を構築する、いわゆる「ニクソンショック」において、アメリカは「一つの中国」という概念を認めることになります。

「一つの中国」とは、中国大陸と台湾は不可分の中華民族の統一国家「中国」でなければならないとする政策的立場および主張の事を言います。

国共内戦の結果、中国大陸を実効支配し、中華人民共和国の建国宣言を行った中国共産党と、台湾を中華民国として実効支配した中国国民党は、国共内戦後長らく対立関係のまま、それぞれ内政問題等に忙殺される形で、条約や協定のない実質的停戦状態に至り、分断状態が固定化してしまいます。

中国大陸(本土)を実効支配する中華人民共和国と、台湾に遷都したものの国連安保理常任理事国である中華民国は、それぞれ着目点によって一方が優勢・他方が劣勢にあったのですが、双方とも自政府が中国唯一の正統政府であるとの立場を崩さなかったのです。

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