トルコがフィンランドとスウェーデンの北大西洋条約機構(NATO)への加盟を一転して支持したことで、状況が変わりつつある世界秩序。これは単に北欧の2国がNATOに参加するというだけでは収まらず、そこには複雑な情勢が絡んでくることになります。そこで今回は、そもそもの発端となっているアメリカの中東外交の失敗について解説していきます。
中東を混乱させたアメリカの失政
最大の失敗は何といってもジョージ・W・ブッシュ大統領が2003年3月に始めたイラク戦争です。
ブッシュ大統領は、何としてもイラクに部隊を派遣したくて、国連決議の承認が無い状態で有志連合軍を率いてイラクを攻撃し、僅か1か月で首都のバグダッドを陥落させる訳ですが、ブッシュ大統領がこの戦争をしたかった理由は、石油の利権、軍需産業の繁栄、湾岸戦争からの因縁(父のブッシュ元大統領)などが言われています。
兎に角侵攻を正当化するために、3つの大義と言われる、サダムフセイン政権がアルカイダを支援していること、大量破壊兵器の保有、そしてイラクの民主化、を掲げました。
しかし、アルカイダ支援も大量破壊兵器の保有も虚偽であったということで、アメリカ合衆国の国際的な信頼を大きく失墜させることになりました。
そして、戦後のイラクに新政府を樹立させましたが、この新政府の運営にブッシュ政権は完全に失敗して、サダムフセインさえいなくなれば民主化が出来ると思っていたのが、そうはなりませんでした。
皆さんも宗派対立はお聞きになられたことあると思いますが、スンニ派とシーア派があって、フセイン政権はスンニ派です。
以前要職に就いていたスンニ派は政府や役所だけでなく軍隊、警察から全て追放した結果、今まで抑圧されていたシーア派がスンニ派を弾圧し、スンニ派がやり返す泥沼の内戦状態となり、結局、アメリカの有志連合軍が撤退するのは2011年、実に8年間も続きました。
そしてこの泥沼の内戦の隙をついて、アルカイダ系の過激組織が登場します。これが後のイスラム国です。つまり、イスラム国は、アメリカが、利権獲得の為に始めた戦争と、その後の戦後処理の不味さ、失敗によって生まれた、アメリカが生んだものなのです。
その時、シリアで起きたこと
一方でその頃シリアですが、2010年にアラブの春の流れを受けて民主化運動が起こります。これを独裁政権のアサド政権が弾圧。それに反発した人々が自由シリア軍と呼ばれる反政府軍となって、アサド政権との戦いをおこします。
アメリカは反政府軍を支援しますが、アサド政権はそもそもロシアと友好関係にあり、シリアの地中海沿岸にあるタルトゥース港にロシア海軍の基地がありますが、手厚い支援を受けていました。
そして、ここも宗派対立があって、アサド政権はシーア派でシーア派の盟主であるイランが支援して、イラン軍だけではなく色んなイランの息の掛かった武装組織が介入してきた結果、アメリカとロシアの代理戦争プラス宗派対立と、こちらも泥沼の内戦となりました。
そしてここで急激に勢力を拡大してきたのが、IS、イスラム国です。イラクでアメリカが引き起こした政治的混乱の中で2014年に誕生し、イラクとシリアで大勢力を作ったこの超過激組織ですが、アメリカはイラクでもシリアでもISを掃討すべく攻撃をしています。
特にシリアでは、前回最後にお話ししたクルド人民防衛隊(YPG、これはISと対峙したシリア民主軍の主軸でした)を積極的に支援しましたので、当時トルコのエルドアン大統領は激怒し、クルド人の支配地域を攻撃するなど、NATO加盟国内で直接衝突が起こりかねない事態となりました。
トランプ政権後も続く混乱
そしてトランプ政権となり、2019年に一方的にシリアから撤退してトルコはシリア北部のクルド人居住地域に即時に大規模侵攻。YPGは今まで敵対してきたアサド政権と手を組み、アサド政権は息を吹き返し、アサド政権を支援し続けてきたロシアも中東への影響力を強める、という流れになっています。
自国の利益の為にイラクで大混乱を起こし、イスラム国を生んだ結果、死者40万人、1200万人を超えると言われる難民を生み出し、今でもこの地域を混乱させているアメリカ。
こういった歴史を把握した上で、今の対ロ対応や、今後の対中国でアメリカが何を行うのか、しっかり見定めていくことが重要だと思います。
出典:メルマガ【今アメリカで起こっている話題を紹介】欧米ビジネス政治経済研究所
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