さまざまな紛争の解決に携わり、敵対する当事者同士の間に入って話し合いを進めてきたものとしては、話し合いの機会をボイコットするのではなく、気に食わなくても、相手が参加して意見を述べるのであれば、その場を提供し、言い分を皆の面前で展開させ、そのうえで、ロシアの代表も交えた喧喧囂囂の議論をやりあうべきではないかと考えます。
そして不思議でしかたないのが、「どうしてこれをしないのだろうか?」という疑問です。
ドイツ滞在時に紛争調停グループのメンバーたちと久々に対面で議論する機会がありましたが、その際に「日本も含め、G7メンバーは何かロシアと直接話し合うことができない弱みをロシアに握られていて、それを国際社会に暴露されるのを怖がっているのか?何かやましいことでもあるのか?」と指摘されました。
この答えを私は知る由もありませんが、今回のG7諸国の振る舞いに対しては、私も何とも言えない違和感を抱いています。
そしてその極めつけが、日本国内でも賛否両論の議論が行われだした【9月27日に開催される安倍元総理の国葬にロシアのプーチン大統領の出席を認めない】という方針です。
国葬は政治的な性格はなく…という説明をしておきながら、ロシア絡みでは思い切り政治マター・外交マターにしてしまっているのはどういうことなのでしょうか?
生前プーチン大統領とは特別な関係を築き、あまり感情を表に出さないプーチン大統領をして、非常に悲しみに暮れた感情的な弔電が寄せられているわけですから、もしプーチン大統領が出席を望むのであれば、非政治的な観点から認め、ついでにその機会を捉えて、水面下で極秘裏にプーチン大統領への直接的な働きかけを東京で行うという設えをしたほうが賢明だと考えるのは私だけでしょうか?
頭ごなしに拒否し、意見を述べ、議論を行う機会も与えないのは、最大限の抗議だという人もいますが、それよりは「来られるものなら来てみろ。どの面下げてくるんだい?」ぐらいの心持でいて、堂々と意見を述べ、議論を行う門戸はこちらからは閉じないよという姿勢を取るべきではないかと思いますがどうでしょうか?
現在、G7諸国がG20のみならず、国際社会での孤立が逆に進んでいる中、プーチン大統領とロシアのプレゼンスが以前以上に上がっているように思います。
先日のイランとトルコとの首脳会談もそうですし、度重なるエルドアン大統領との直接的な対話(注:ゼレンスキー大統領とエルドアン大統領はまだ会っていない)もそうですが、逆に露出が増え、英国などが仕掛けた情報戦の嘘、特に体調不良についての嘘が明らかになるという誤算が起きています。
そして欧米諸国の対応は、これまで以上に「先進国の身勝手・エゴ・上から目線」というように途上国では見られはじめ、アジアやアフリカ、ラテンアメリカ諸国での欧米諸国の影響力は著しく低下しているという傾向が見えます。そして、そこに浸透してきているのが、批判も多々ありますが、中国の経済力と内政不干渉の原則に基づいたアプローチと、エネルギーと軍事力を用いるロシア、そして好き嫌いが分かれるものの、トルコの絶妙な立ち位置に戻づく姿勢でしょう。
そして欧米メディアの目がウクライナ関連の中身に集中しがちな中(BBCを除く)、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国では大きなうねりが見えます。
その顕著な例が最近起こったスリランカでのデモと大統領の追放・国外逃亡というショッキングな事例です。
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