4.現金収入以外の仕事もある
江戸時代の日本では、国民の8割が農民だった。当時の農民は、農業だけを仕事としていたわけではない。道路や水路の整備や補修、住宅の建築、農閑期の機織り、藁細工や竹細工、家畜の飼育など、ありとあらゆる手仕事に熟練していた。同時に、自然や天候、動植物等の知識を持っていた。勿論、文字の読み書きもできた。祭では、能や神楽、踊りや三味線、太鼓、笛などを披露していた。
農民の仕事は過酷である。しかし、その中にも仕事の楽しみは存在していたし、祭というイベントも存在していた。農民の仕事は、基本的に自給自足と年貢のための米作等だが、江戸中期以降は貨幣経済が発達し、現金収入を目的とした仕事も増えていった。
サラリーマンの仕事は、現金収入のための仕事だけだ。それ以外は仕事とは思っていない。それでは専業主婦の仕事は仕事とはいえないのか。現金収入にはならないが、家事は生活を維持するための大切な仕事である。地域コミュニティの仕事もある。地元の町会や消防団の仕事、PTAの仕事等だ。
サラリーマンは会社以外の仕事は家族に任せていた。しかし、お金にはならない仕事があると認識すれば、家族のための仕事、地域のための仕事も見えてくる。定年とは会社との契約上の話であり、仕事をやらなくてもいいということではない。この認識がずれていると、定年離婚や引きこもり生活に一直線に向かうことになる。
5.本当の自分の時間を優先する
自分と家族の生活のための仕事、地域コミュニティのための仕事があるといっても、定年後はまだまだ時間はたっぷりと残っている。平均寿命を考えても、20年程度は残されている。
その20年の中でどれだけ「本当の自分の時間」を体験できるのか、が幸せな老後生活に直結している。逆に、20年を家族や地域のための仕事もせず、「本当の自分の時間」も持てなければ、臨終の間際で後悔することになるだろう。
ここでもう一つの壁を打ち破る必要がある。仕事の価値をお金ではなく、自身の命や魂で感じ評価することだ。何かに熱中した子供時代の経験は確かに命も魂も喜んでいた。それは何年続いたのか。小学校なら6年間、中学校を含めても9年間だ。しかし、定年後は20年もある。人生の最後の20年間は、真剣に自分の時間に向き合い、何をするのかを決めて、それを優先すべきではないか。
■編集後記「締めの都々逸」
「会社の仕事 終わってからは 命のために 生きていく」
お金のためではなく、好きなことをすることは良いことだと思います。でも、それを悪だと刷り込まれている。仕事以外のことは遊びであり、遊びにうつつを抜かしているのは不良だ、という思い込みです。
定年になっても、シルバー人材センター等に登録して働いている高齢者は偉いと思いますが、反面で、もっと人生を楽しめばいいのにと思います。生涯現役という言葉も、仕事とはお金を稼ぐこと、という思い込みに基づいているのかもしれません。
私の場合は、仕事と遊びの区別がついておらず、最近はお金も稼げないので、これは遊びなのかもしれませんけど。(坂口昌章)
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