卵子凍結と精子バンク利用は「普通」の衝撃。NYシングルマザー出産ウラ事情

 

今からちょうど20年ほど前、僕が渡米して1年目とか2年目の話。ひょんなことからNY日系史上初の無料日刊紙の雇われ社長に任命され、新会社立ち上げのために1日24時間中20時間ほど働いていた頃でした。(そのあたりのことは自著「武器は走りながら拾え」ブックマン社に詳しい。そう、宣伝)。

社長といっても小さな会社。新規顧客の獲得営業も自分の仕事でした。とにかく朝も昼も夜も営業回りをしていました。オーナーから決められた目標数字を達成しないと、創刊すらままならない。人生の中で最も必死だった時期だと今、振り返ります。

1日何社も営業訪問する中、当時、1軒の日系ケータイ電話屋さんに入り浸っていました。大手通信会社の代理販売をしている、個人の小さなお店でした。中国人のオーナーは普段、店頭を留守にしていて、アルバイトの日本人学生くんたちがお店を任されていました。当時、30歳になったばかりの僕より5つか6つくらい年下の20代半ばの男の子ふたり、女の子ふたりが店番をしていました。

営業周りの中間地点として、休憩所として、当たり前のようにそこに立ち寄っては年齢もそう変わらない彼らと雑談をする日々。彼らもアルバイト。店の売り上げで時給が決まるわけではなく、お互いのいい暇つぶしに情報交換をしていました。2000年代初頭。同じ時期にニューヨークに滞在し、同じ時期に夢を追いかけていた、ある種の「仲間意識」みたいなのもあったかもしれません。

だからと言って、お店から出てごはんを食べに行くわけでもなく、外回りの途中に、お茶とお菓子を食べにいくだけの関係。プライベートまでそう深く知り合うことなく、そこから20年、当然、その店も閉店し、彼ら4人はどこに行ったのか、消息すらわからなくなりました。

ニューヨークだけでなく、海外の日系社会ではよくある、珍しくもない現象です。多分、何人かは日本に帰り、ひょっとすると何人かはこっちで結婚して主婦なりをしているのだろうなぁ、くらいに思っていました。それでも、SNSではつながっているので、お互いの誕生日に「元気?」くらいのやりとりは続いていた。

そのうちのひとり、当時20代前半だった、とても可愛い印象だった女性から先日、いきなり連絡をもらいます。まだニューヨークにいるということ。そして“おめでた”で今年末に出産をするということ。高齢出産なので不安がなくもない、という報告でした。

僕の記憶の中では20代前半で止まっている彼女にも、当然20年という月日が経っています。「もう43だよ!」という彼女の当たり前の報告に少しだけ驚き、そりゃそうか、とふに落ちた、それだけの連絡でした。

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