僕も「なんでも言ってこい。できることならなんでも協力する」と言いました。認知以外は。あ、そうだ、名前決まってないんだろ、考えてやるよ。おまえ、麦焼酎、好きだったよな。“いいちこ“は?そういう僕を完全無視して彼女は最後に今の心情を話してくれました。
お腹をさすりながら「この子と会えるだけでも、それだけでもアメリカに住んだ意味があったと思う。もちろん日本でも今は普通になってるかもしれないけれど、日本にいたらアタシはこの選択肢を選ばなかったと思う。精神的にも経済的にもそのハードルを超えられなかった気がする」。
今回の決断をしたことと、この子を授かるまで、注射針から始まり、エスコートサービス探しまで、あらゆるプロセスを通って、大変ではあったけど、今となったら、すごく満足している。「今、とっても幸せなの」文字で書くと、なにやら悲壮感漂ってそうな決死の覚悟なセリフに聞こえるかもしれないが、実際はそう浪花節じゃない。あっけらかんと話してくれた。
そりゃそうだ。両親揃ってないと子供が幸せになれないなんて具体的データあれば持ってこい。いつの時代だと思ってんだ。両親揃っていても子供が幸せじゃないパターンも、両親揃って子供が幸せなパターンも、片親だけで子供が幸せじゃないパターンも、片親だけで子供が幸せなパターンも、限りなく存在する。
やたら「多様化」「多様化」と世間一般でもメディアでも騒ぐ日本だけれど、本当に「多様化」を選択しようとすると一斉に叩いてくる。まさか国会議員がスーツを着ないことや、学校の先生がピアスを空けることを容認することを「多様化」と言ってるのか。そりゃファッションだ。本当の意味での「多様化」を考えてみよう。
「アタシね、ぜーーったいこの子を幸せにするの!」お腹を摩りながら、そう言う彼女の笑顔に、ぜーーったいその子を幸せにする、んだろうなと思わされたのでした。
この記事の著者・高橋克明さんのメルマガ
image by: Shutterstock.com