山上の犯行は私憤による復讐である。
統一協会のために家族が崩壊して兄は自殺、自身の前途にも絶望し、現在の教団トップ・韓鶴子を殺そうとしたが果たせず、安倍が韓鶴子を称えるビデオメッセージを出していたことを知って、標的を変えたのだ。
山上には事件を起こして社会に影響を与えようという意図はなかったし、事件に「恐怖心」を抱いて軽挙妄動した人もいないのである。
ところが東浩紀は、こう強調するのだ。
「私たちはまずはテロは断固許さないという決意を繰り返し表明し続けるべきである」
テロでもないのにそう言っている時点でまずおかしいのだが、それは措くとしても、そもそも「テロは断固許さない」という言葉を、まるで絶対の教義のように受け取っている奴は馬鹿なのだ。
テロリズムの由来は、フランス革命期のジャコバン派の恐怖支配(1793~94)にあるとされ、以後「白色テロリズム(反動的テロリズム)」と呼ばれる支配体制側が反対勢力を抑圧・弾圧する事例や、逆に反体制側がとる「赤色テロリズム(革命的テロリズム)」、あるいはその双方のテロリズムの応酬など、様々なケースが存在する。
多様性のある「テロリズム」を、全て一からげに「絶対悪」にしたのは2001年の9.11テロ以降に「テロとの戦い」と言い出したアメリカであり、くだらない優等生だけが米国のプロパガンダを妄信して、「テロは断固許さない」というのを「統一原理」にしてしまっているのである。
東はこのコラムをこう締めくくっている。
「宮坂直史・防衛大学校教授は、民主主義を壊すのはテロリストではなく、テロを受けた側の人々だと語っている。後年振り返ったときに、この事件が日本史の転換点だと言われないことを切に願っている」
テロが起きた時に、テロは断固許さないという態度を示さなければ民主主義は壊れるというのだが、実は宮坂教授はそんなことは言っていない。
宮坂教授の実際の発言はこうだ(朝日新聞DIGITAL7月12日)。
「犯行に対して『民主主義を破壊する行為だ』という非難が語られていますが、テロ研究の視点から見て気になるのは、実際に自由と民主主義を破壊するのはテロを受けた側、つまり国家や市民だということです。破壊されるのはテロが起きたときではなく、テロを見て人々がそれらに制限をかけたときです。
(中略)
犯行を見た私たちが過剰反応せず自由で民主的な社会を変えない決意を持てるかどうかの方が、より重要だと私は思います」
つまり、テロを見て怯えた人が「テロの再発を防ぐためには、個人の自由を制限すべきだ!」などと過剰反応を起こし、監視や自粛などの規制を行うことによって、自由と民主主義が破壊されると言っているのだ。
東が宮坂教授の発言を完全に誤読して紹介したのは本当に読解力不足のせいなのか、意図的なのかは知らないが、ここは東の言う「テロリストに同情したら、民主主義が壊れる」という主張が正しいかどうかを検証しよう。
韓国では伊藤博文を暗殺したテロリスト・安重根が国の英雄だが、民主主義が崩壊しているわけではない。
そもそも英雄とテロリストは紙一重というところもあって、南アフリカの元大統領、ネルソン・マンデラもかつてはテロリストとして扱われていた。チェ・ゲバラが英雄か、テロリストかとなると、今でも人によって意見が分かれるだろう。
「テロリストに同情したら、民主主義が壊れる」なんて話は、全然成立しないということは、たちまち証明できてしまう。
当たり前の話なのだが、テロにもいろんなケースがある。
同情できないテロもあれば、同情できるテロもある。
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