そして日本では政権が徳川から明治新政府に移ったわけですが、ここで新政府は改暦という作業に着手します。それは旧暦(太陰暦、月の満ち欠けを基準として作った暦)から、現在我々が使っている新暦(太陽暦、地球の公転周期を基準として作った暦)に変更するということです。
それが1872年明治5年の12月2日に行われました。具体的にどういうことだったかというと、明治5年12月2日の翌日を、明治6年1月1日にするということです。
これって何気にスゴくないですか?12月2日ってまだ師走が始まったばかりで、フツーに年の瀬ですよ。それをすっ飛ばして、翌日が元旦って言われてもお正月の準備なんて出来ていないわけですよ。商家だと、売掛金の回収が終わっていないはずです(当時は年末に1年分の掛け売りを清算する習慣がありました)。
なんでこの日だったのか?というと、これには笑える理由があるんです。
当時は明治新政府が出来たばかりで、財政基盤が整っていなかったんです。それでも役人には給料を支払わなきゃならないわけですね。で、厄介なことに太陰暦だと閏月が発生するんです。太陰暦は月の満ち欠けを基準にしていますが、月の公転周期は27日なんですね。これをひと月とすると、毎月3日ほど、地球の公転周期とズレるわけ。これを調整するために、頻繁に閏月を挿入していたんですね。
つまり1年が13ヶ月ある時があったんです。となると、月給を年に13回支払わなきゃならないことになるんですよ。閏月とはいえ、別の月ですからね。で、当時の新政府にはその給料を支払うおカネが無かった。そこで、太陽暦を採用したら、今後ずっと月給を12回払えば良くなると気付いた人がいるんですね。しかも12月2日だとまだ12月分の月給を払っていないんですから、そこで太陽暦に切り替えても月給の支払いが増えることはなかったんです。
これが政府が大急ぎで太陽暦を採用した理由のひとつだという話があるくらいです。
また、一週間を7日としたのも、太陽暦が採用されてからで、我々の生活のリズムは太陽暦によって大きく変化したわけですね。つまりやっぱり、時間を司る存在が最高権力者だということになるんです。
来年はそんな太陽暦が採用されてから150年になる記念の年でもあります。
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