中国は自分たちのことを「大国」だと豪語し、多くのメディアでも「大国」という言葉を多用しています。今回のメルマガ『黄文葦の日中楽話』では、 本当の大国は中国とは正反対であるとして現在の風潮を批判しています。
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中国で、大国概念が氾濫している
2006年、中国の中央テレビ局は『大国堀起』というタイトルのドキュメンタリーを制作したが、これはおそらく「大国」というタイトルを持つ最初の大衆向けテレビドキュメンタリーであった。
ドキュメンタリーの中には、戦争や植民地化に対する批判も含まれているが、海洋戦略、科学技術の発展、教育の重視、民主主義と法の支配、制度の整備、市場経済と貿易の発展など、先進国の経験をおおむね全面的に評価し、中国国民がグローバル化の波の中で歴史の足跡に耳を傾け、オープンマインドで先進国の経験に学ぶよう導くことを目的としている。
さて、ここ十数年、『大国の選択』『大国の功徳」』『大国の礎』『大国の製造』『大国の交通』『大国の幸福』などなど、中国映画・ドラマのタイトルには、ほとんど腐るほど、「大国」のものが増殖している。それだけではない。マスコミも、いっぱい「大国」を使っている。
「大国」という言葉は中国の「特許」になってしまったようで、多くの中国のメディアや専門家は外国はダメ、中国だけが最高だという。他国は、コロナや秩序の崩壊との戦いで常に失敗しているのに、自国はどんな分野でも常に「勝利」「偉大」「最も成功」「大勝利」している。
本当の大国は、まず相手を正視する。相手の長所を生かし、やがて追いつく。国力がついてくれば、少しは足を伸ばして活躍できるはずなのに、その土台が固まらないうちに、自画自賛ばかりする。これは、中国の対外的な姿勢だと言っても過言ではない。
他国に対して見下ろすばかりで、ネガティブなニュースばかりで、ポジティブな内容をあまりみようとしない。それは盲目であり、近視的であり、閉鎖的であると言わざるを得ない。
大国概念が氾濫する結果、国民の一部が外に向かって敵対するようになる。安倍元首相暗殺、ウクライナ戦争、インドのコロナ感染拡大など、他国の苦しみや悲劇に対して、冷笑し、ほくそ笑み、憎しみまで煽って、傷口に塩を塗り込む。これが大国の教養なのだろうか。
中華民族は本来、自信に満ち溢れた民族であり、よく学ぶ民族でもある。唐の時代のように、国が心を開き、あらゆる文化を受け入れることができれば、その国は栄え、世界の尊敬を集めることは、歴史が証明している。自分が大国だと思い込んで、自ら傲慢にしたところで、無知と後進性の拡大は、未来を破壊するだけであろう。
因みに、日本は「自販機大国」「温泉大国」「長寿大国」であり、そのままでいい。中国は「軍事大国」「科学大国」「人口大国」になっていると思われているが、正真正銘の「文化大国」になってほしい。
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