それでは、夫婦になって長く一緒に生活している二人は、生物学的に、「純愛はない!セックスが重要」という始まりのストーリーから、この脳とホルモンの変化を経て、一体どのように路線変更をしていけばいいのでしよう。
それは、「枯れていく過程」をいかに二人で楽しめるのか、ということに尽きると思うのです。
「純愛を探り出し!セックスは下落」していく始まりから、長い時間の流れの中で、具体的な性交は少なくなっても、“愛している”ならば、愛の表現をし続ける義務が、「結婚という契約」には双方必要だと感じます。
その表現こそが、スキンシップ。
「愛するということ」の著者、エーリッヒ・フロムは「愛するためには技術が必要だ」と述べています。
- 「ほしければまず自分が与える」、「人がしてほしいことを先にしてあげよう」、それらが「愛そのもの」だということ。
- 自分時間の余剰をつくり、その空いた時間を大事な自分のために、自分自身を考える事にじっくり腰を据えてみる。
- 孤独でいられる人だけが人を本当に愛することができる、逆に群れる者に人を愛することはできないということ、群れているのは「孤独と向き合う事、自分に集中すること」から逃げている症状だということ。
- 愛はスポーツや楽器と同じく、スキルである、また、小さな頃から一つのスポーツや習い事を続けている人は、人を愛するスキルがかなり身についている可能性が高い。
つまりは、好きな相手よりも、さらにその奥に目線を持っていく、ということ。そして、つまらない事で一喜一憂せずに、自分自身をよく観察して、深く、広く、正直に、素直になれることが大切ということです。
この自分づくり自体が「愛するということ」なのですね。よろしければ、一読ください。長い期間読み継がれている意味がお分かりになると思います。
その自分改革の上で、素直に「好き」であれば、真正面から夫と関わっていくことです。逃げないで。
その表現こそが、スキンシップ。
そっと触れる、ハグする、そして、キスまで。
聞こえてきそうです。いまさらそんなことできないと(笑)
この技術を上げていこう、という気持ちが全く無くなったのならば、たぶん難しいです。「熟年離婚」に覚悟を決めて進んでください。
しかし、まだ何とかしたい、という気持ちがあるならば、夫にもこの「愛するということ」を読ませてもよろしいですし、一緒に愛する技術を磨くことです。
埃や塵にまみれてしまった部分もあるでしょう。
素直にそれを認めて、更に原点に戻れるのかどうかの人生最大の瀬戸際です。その最終段階はご夫婦でしっかりと本音で、正直に話し合うこと以外は無いのです。このまま継続するにしても、離婚するにしても、です。
これができない夫婦がほとんどです。話している最中に心がギザギザと固まってきて、イジワルな気持ちになってしまうのです。だから、挑戦してください。
「愛するということの根底にあるのは、人間として自分が自分を愛せていなければそれは嘘である。」
自分で自分には嘘はつけません。
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