他人を断罪して欲望を満たす「徳の騎士」たち
ヘーゲルという哲学者は、「……すべきである」という「
苫野一徳さんの『はじめての哲学的思考』に出てきます。
● 『はじめての哲学的思考 https://www.amazon.co.jp/dp/
<「命令の思想」を持つ人は、時に攻撃的にもなりやすい。
自分の信じる正義を掲げて、それに従わない人を断罪するのだ。 前にも紹介したヘーゲルという哲学者は、そうした人たちを「
徳の騎士」と呼んでいる(『精神現象学』)。> <「なぜお前は困っている人に手をさしのべないのか!」 「なぜお前はボランティアをやらないのか!」 「徳の騎士」は、そういって他者につめ寄り攻撃する。>
日本で流行してるのはこれじゃないだろうかと思います。
<でも、それはかえって非道徳的な行為にもなりかねない。「
徳の騎士」、それは“正義”を笠に着て他者を傷つける、 ひどく独善的な人間なのだ。>
しかし、「他人を厳しく批判するのはダメでしょう」
「では、どうしたらいいのだろう」と考える
哲学が面白いところは、「じゃあ、どうしたらいいだろう」
<だから改めていいたいと思う。
命令の思想を、条件解明の思考へと転換しよう。
たとえば、「人に思いやりを持て!」と命令するのではなく、「
どうすれば人は人を思いやれるんだろう?」と考える。「 苦しんでいる人たちへの無関心は悪である!」というのではなく、 「どうすれば無関心が関心に変わるんだろう?」と考える。「 震災ボランティアをやらないお前たちは人間としてまちがっている !」というのではなく、「 人はどのような条件が整った時にボランティアをしたくなるんだろ う?」と考える。 命令の思想ではなく、条件解明の思考。これこそ、
現実的な力強い哲学的思考なのだ。>
なるほどなるほど。
当てはめてみると、そもそも、
そこで、「
国際バカロレアではこういった哲学的思考を高校で教えます。
「~すべし」の道徳ではなく、
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