タワマン住まいが危ない。高層階を揺らす「長周期地震動」の階級

 

私が地震の揺れを最初に感じたのは、コンピュータに向かって、何かを書いている時でした。

嫌な予感がしたので、コンピュータを止め、ドアを解放の状態でストッパーで固定して廊下に出ました。その間に揺れは大きくなり、まるで船に乗っているような感じになりました。

窓の外を見ると、電車などに乗っている時のように景色が左右に移動しています。景色の移動の幅が大きかったことから、自分のいる大学棟が大きく揺れていることが分かりました。

よろよろしながらエレベーターの前まで移動して、壁につかまり、何とか立っていると、眼の前の壁の天井に近い部分から亀裂が30センチほど下に走るのが見えました。

「このビル、崩れるんじゃないだろうか」などと他人事のように考えながら、周囲を見回していると、ドアのストッパーが揺れではずれ、ドアがゆっくり閉まりました。大きな揺れが続いていると、楔型のドアストッパーは役にたちません。

サッシのガラス戸なども鍵を閉めておかないと、繰り返される揺れで戸が動き、完全に開いてしまいます。鍵を閉め忘れた先生方の窓は、地震の間に全開となり、風にカーテンが翻っていました。もし、窓際に鉢植えなどを置いていたら、落下による被害も起きたでしょう。

ドアが閉まった直後、私の研究室から物が落ちる音が聞こえ、やがて、次々に、固定していなかった書棚や食器棚の倒れる音が聞こえて来ました。食器棚の倒壊音が一番盛大でしたが、その頃には、建物全体からたくさんの物が落ちたり倒れたりしている音が響いて、この世の終わりめいた雰囲気を醸し出していました。

揺れが終わってから気づいたことですが、この時、研究室の中では、倒れた書棚などが内側からドアを塞ぎ、中に入れない状態になってしまいました。間抜けなことに、私は部屋から閉め出され、コートを取りに戻ることもできなくなったのです。さらに、落下した電子レンジが水道栓を押し下げ、水が噴き出していました。

結局、人力ではドアを開けることができず、翌朝、理事長の許可を得て、自動車のジャッキでドアを開け、ようやく中に入ることができました。研究室のスチールドアには、今でもジャッキの傷が残っているはずです。

それにしても、あのような揺れは初めての体験でした。起震車の体験とも明らかに違いました。ガタガタとした細かい揺れではなく、比較的ゆっくりと左右に振られます。例えるなら、「嵐の中の大型船」といった感じの揺れなのです。

やがて、揺れが次第に治まり、倒壊音などが聞こえなくなると、ようやく歩けるようになりましたが、船酔いの時のような怪し気な歩き方だったのを憶えています。もう床は動いていないのに、まだ揺れが続いているかのように感じたのです。同じ階の研究室から先生方や学生さんが10名ほど出てきましたが、皆、おぼつかない歩き方でした。

私たちは、日頃の訓練通り、グラウンドに集合しました。途中、階段は各階ごとについている防火扉が自動的に閉まっていたので、防火扉に付属している小さなドアを開けて階段に出なければなりませんでした。

そんなわけで、私たちは「命からがら」上の階から降りて来たのですが、一階の事務室が何事も無かったかのように普段通りで、全く無傷だったのには驚きました。職員の皆さんも、ケロリと落ち着いています。

それに、室内も、ディスプレイひとつ倒れた様子は無く、書類などが棚から落ちた形跡もありません。ですから、一階で仕事をしていた職員さんたちは、上層階の惨状を音でしか知らないのです。

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