経営の神様・松下幸之助氏に学び、経営者として手腕を発揮した松下電器産業元副社長・田中宰氏が最初に子会社を任されたのは30歳だったといいます。その後、多くの企業を立て直してきた田中氏ですが、41歳の頃、松下氏の教えに反する大胆な決断をしたそうです。『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、田中氏が語った経営法について紹介しています。
松下幸之助の経営理念が自らのよりどころに
立派な経営理念はあっても、それを社内に浸透させることができない──。このような悩みを抱える経営者の方は多いことでしょう。
一代で世界的企業を築き上げた経営の神様・松下幸之助氏は、「経営理念」を非常に大切にしていたといいます。松下氏の謦咳に接した松下電器産業元副社長の田中宰さんに、経営理念を生きたものにする秘訣を語っていただきました。
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入社当初、経営理念の唱和に抵抗があった私も、毎日唱和するうち次第に体に染み込んでいったように思う。
むしろ抵抗していたからこそ創業者の偉大さに触れた時、逆の反動も大きく、「創業者がつくった理念には、自分がいま感じているよりももっと大きな意義や思想があるのではないか」と思うようになった。
そしてその経営理念はいつしか私の心の鏡のような存在となっていった。毎朝、自分の姿を確認するために鏡の前に立つように、経営理念に立ち返ると、「ああ、この判断は本質からズレているな」と分かるのである。
特に経営を預かる立場になってからは、経営理念こそ自らのよりどころとなった。私が初めて会社を任されたのは30歳。岡山にある系列の子会社の立て直しを命じられてのことだった。
行ってみると、業績とともに社員の気持ちも荒れていた。会社への不満が鬱積していたのである。私が若かったこともあってか、不満も言いやすかったのだろう。
ある日の会合で「こんな会社、あほらしくってやっとれん」と言った社員がいた。すると「ほんまや、やっとれんな」と同調の声が続いた。彼らは、やってもやっても成果が上がらない空しさに加えて、松下本社と自分たちとの賃金格差への不満があったのだ。
「いま、“やってられない”と言った人たち、どうぞお辞めください」
咄嗟に私の口から出ていた言葉である。
「松下電器の賃金が欲しいなら松下に行くしかない。私が松下の人事部に連絡して採用試験を準備してもらうから、いますぐ辞めてもらって構わない。しかし、結果はあなた方の実力次第だ」
会場は水を打ったように静まり返っていた。
「ご存じのとおり私は未熟な経営者である。しかし私も皆さん同様皆さんの賃金は上げたい。私の強い願望でもある。しかし、それは松下電器に言うのと違う。自分たちの力で稼ぎ、自分たちで勝ち取っていくものだ」
私にとっては、まだ充分な人間関係ができていない中で一世一代の大勝負だったが、振り返ってみれば、あれは幸之助哲学の実践であり、経営理念の発露だったと思う。
創業者は常に他責ではなく自責で生きることを説いていた。その思想や思いが、あの緊迫した状況で口をついて出てきたのだった。
41歳の時、今度は松下の南九州営業所長に就任した。ここもまた、経営成績は芳しくなかった。社員はみんな人柄がよく、人間関係も円満。組織の弱点はただ一つ、組織に危機感が希薄であった。「赤字は罪悪だ」という創業者の精神が伝わっていないように感じた。
赴任後、様々な再建策を打ってきたが、ピリっとしない。答えが出てこない。私は、毎朝実施していた「経営理念の唱和」を禁止した。経営理念の精神を本当に体得していたら、絶対にこんな業績であるはずがない。読むように言われているからなんとなく読んでいる。そういう受け身の姿勢をなんとかしたかった。
全世界の松下グループで行われている経営理念の唱和を禁止する。前代未聞のことに社員も戸惑ったが、私自身が最も戸惑っていたのかもしれない。毎朝歯を磨かず、顔を洗わず朝食を取るような心境だった。
社内に経営理念唱和の再開の声が上がり出した。満を持して再開して、改めて皆で唱和した経営理念は、それまでに感じたことのない格別な響きがあり、後ろからはすすり泣きの声も聞こえてきた。
この時の「このままではいけない」という思いは、日常の仕事にも影響し、もとの人間関係がよかっただけにみるみるうちに業績も回復していった。
経営理念は覚えるものでもなければ、唱和するためのものでもない。実践し、自らの仕事を完成させていくためにあることを、現場で学ばせていただいた。
(本記事は『致知』2012年1月号 特集「生涯修業」より一部を抜粋・編集したものです)
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