「門地による差別」で商売する「週刊新潮」の悪質
バッシングを受けて、眞子さまは結婚にまつわるほとんどの儀式を行うことなく皇籍を離れてしまったが、さる皇室ジャーナリストは「二度と繰り返すわけにはいきません」とし、「その轍を踏まぬように」、周囲が「旧宮家」や「旧華族」などの家柄に絞って、愛子さまのお相手を探すのは「道理」だと言う。
はああああ!?
家柄がどうとか、血筋がどうとか、稼ぎがどうとか、一切関係なく、純粋に「小室圭さん」というひとりの人間を見る恋愛を貫いたのが眞子さまではないか。
それに対して、みっともない差別心丸出しで、「家柄ガー!」「血筋ガー!」「稼ぎガー!」「かつての皇位継承順位ガー!」と言い放ち続け、今度は愛子さまにも同じ道を強いてやろうとする自分の醜さに、「さる皇室ジャーナリスト」も「週刊新潮」もまったく気づいていない。
記事のラストには、「八木秀次」が実名で登場し、眞子さまの結婚について、「“皇族も我々と変わらないじゃないか”という思いを広めてしまった」「国民は興ざめし、“威厳的部分”に大きな傷が残ってしまった」などと述べている。
「皇族も我々と変わらないじゃないか」という感覚は、もともと大衆のなかに潜んでいる陰湿で下卑た性根から来るものだ。目立つ人間、有能な人間、羨ましく思う人間を叩いて引きずり下ろしたい、落ちぶれる姿を見て快感を得たい。その大衆の欲望を全開にさせるべく、「徹底的に叩いていいぞ!みんなで血祭りにしよう!」と扇動することで商売しているのが、皇室に関するデマをばらまく週刊誌であり、そのためのネタを情報提供しているのが八木秀次だ。
バッシングを楽しんだ大衆は「興ざめ」したのではなく、血祭りに大興奮した上で、無責任に飽きただけ!「大きな傷が残ってしまった」のではなく、大きく傷つけるためにバッシングしたのが事実!しかもその傷は、ほかの皇族方の将来へも大きすぎる禍根を残してしまっている。
なにもかもが自分たちの陰湿な差別心と下卑た性根が引き起こしたことで、皇室の繁栄などまったく考えてもいないくせに、しれっとテキトーなリライト記事で、「門地による差別」をゴリ押しして商売しようとする「週刊新潮」。この悪質さにはガンガン対抗していかなければならない。
(『小林よしのりライジング』2023年3月28日号より一部抜粋・文中敬称略)
2023年3月28日号の小林よしのりさんコラムは「八木秀次って馬鹿なのか?知ってたけど」。ご興味をお持ちの方はこの機会にご登録の上、3月分のバックナンバーをお求め下さい。
この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ
image by: kuremo / Shutterstock.com