別世界の住人としての寺山修司
高校時代に寺山修司にのめり込んでいた僕は、真剣に家出をしようと思っていました。それでも、寺山に対して挫折感を味わったこともないし、彼を商売人だと思ったことはなかったのです。年齢もかなり上だったし、短歌や詩や演劇という、端から挑戦することが難しいジャンルだったこともあったと思います。とても、真似できる世界ではなかったからです。スキャンダラスに当時の表現文化の先頭を走っていた寺山は、別世界の人だったのです。
ところが、村上は手が届きそうな錯覚を抱かせました。普段、静かに地道に働いている同僚が、突然羽化して見事に輝く羽を僕に見せつけ、大空に翔びだした感じだったのです。
紆余曲折を経て、僕は文章を書いたり直したりする仕事に就くことになりました。そのとき、商売として成り立つ作家の人たちと、仕事で文章を書かなくてはならない人たちとの違いを意識するのです。
「文章が上手くなりたい」という命題が目の前にあるとき、「なぜ文章が上手くなくてはならないのか」と、自問してしまうのです。
「上手く」という修飾語は「文章」にではなく「伝わる」に掛かるべきものだと思うのです。「文章が上手くなりたい」ではなく「文章が上手く伝わるようになりたい」ではないかと。
高級ブランド店の販売方法
村上や寺山が、東京・銀座にある高級ブランド店であれば、僕は激戦区で生き残るコンビニ店だと思うのです。
高級ブランド店は、入り口に黒服のガードが立っていて「一見客お断り」という姿勢を見せて、いまふうに言えば「敷居が高い」のです。1階に陳列しているものは、そのブランド店としては比較的安価なものを置いています。しかし、本当の狙いは、もっと高額な商品を限定された顧客に売ることです。
そこは、上の階に用意された個別ブースで、スタッフと話をしながら、顧客の希望に沿う商品をバックヤードから少しずつ見せていきます。そして、より高級な商品に誘います。最後に選ぶ商品までの課程が、ストーリーとして成立し、上質なエンターテインメントになっています。
文章を商売にする作家の仕事は、まさにこれです。最後の最後まで、読者を飽きさせない読ませる力が備わっています。
(メルマガ『前田安正の「マジ文アカデミー」』2023年6月5日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)
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