なんともまあ、都があちこちに移転したものですが、こうして都が移転するたび、山や林を切り開いて、そこに道が造られ、建物が建てられるのです。
これを、古代の暴君が、民衆を強制的に使役して労苦を与えたと解釈しているセンセイもおいでになるようですが、その間違いは、少し考えたらわかります。
天皇が即位されると、牢屋に入っている囚人たちが、罪を一等減じられます。ということは、天皇の御即位のよろこびというのは、囚人たちだけが得たものなのでしょうか?
このように考えたら答えは明白です。一般の人々には、都造営という公共工事を通じて、その対価が支払われ、その分、国内に流通するお米の量が増えて、国内の景気が良くなり、人々の暮らしが豊かなものになったのです。
そもそも古代から、今年できたお米は、すべて国が管理していました。新米と古米は、半分を国が、残りの半分を村々が管理していたのです。そして国内で流通するお米は、古々米が市場に流通していました。
そこに遷都が行われます。すると、造営のための労働に、対価として備蓄米が支払われます(これは希望によっては、絹1反や、綿3反が支払われました)。つまり、遷都によって備蓄米が放出されることで、国内の米の流通量が増大したわけです。そしてこのことによって、人々は、好きなものを買い、国内の景気が活性化されるという効果を生んでいたのです。
ところがその工事の規模がだんだんに大きくなり、藤原京あたりになると、大和三山を全部取り囲むほどにまで、都の規模が大きくなります。こうなると、また都を移転するということが、だんだんに負担が重くなり、またその一方で、古代大和朝廷の版図が、日本全域に広がることで、公共工事を行う地域が全国に広がり、このことが、山科の京の都以降、京都そのものは移転せず、高野山や比叡山に代表される全国の大規模寺社の造営や、橋梁工事などに予算が使われるようになっていったのです。
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