予告されていたプリゴジン暗殺。“プーチンの料理番”とまで言われたワグネル創設者の悲惨極まる最期

 

「公開処刑」

プリゴジン氏を乗せた自家用小型ジェット機は、23日午後6時11分(日本時間24日午前0時11分)、首都モスクワ北西の上空8.5キロを飛行中、突然、レーダーから消えた(*6)。

インターネット上に投稿された動画によると、航空機はらせん状に回転、煙を上げらながら急降下し、墜落したという。

米紙ウォールストリート・ジャーナルは24日、墜落は暗殺計画の結果との見方であると報道。米政府は機内に仕掛けられた爆発物が作動した可能性があるとみているという。

墜落原因は断定していないものの、国防総省のライダー報道官は記者会見で、

「プリゴジン氏は殺された可能性が高い」(*7)

との見方を示す。

プリゴジン氏はウクライナ侵攻に部隊を派遣したものの、その後、ロシア国防省と対立、6月に反乱を起こす。現地では現場検証や身元の確認がつづくものの、プーチン大統領が、

「公開処刑」(米メディア)(*8)

したと米メディアは報じた。

ニューヨーク・タイムズなどは、米欧政府当局者の初期段階の分析として、機内に仕掛けられた爆発物が飛行中に爆発した結果、墜落したとみられると報道。同氏は、飛行記録の分析として、

「墜落の数分前に上空で何らかの爆発があった結果、機体が急降下した」(*9)

と指摘する。

機体の残骸は主に三つの地点に落下しており、その範囲は約2マイル(約3.2キロ)にわたっているとのこと。結果、

「残骸が広範囲に拡散したことは、機器の故障というよりも、航空機の爆発や突然の分解の可能性が高い」(*10)

との専門家の分析を紹介している。また燃料に不純物が混ぜられていた可能性もあるという。

プリコジン氏とは 「プーチンの料理人」

プーチン大統領とプリゴジン氏との関係は、1990年代に始まった。プーチン氏と同じロシア第ニの都市サンクトペテルブルク出身のプリゴジン氏は1990年、この地にホットドッグの販売店を開き、大成功を収める。

同年は、モスクワで、ソ連で初めてマクドナルト1号店がオープンし、大盛況を収めた年だ。ロシア庶民の間に広がるファーストフード文化へのあこがれを見抜きホットドッグ店を開いたプリゴジン氏は、確かに“商才”があった。

1997年には、パリの人気店を模したという水上レストランを開き、こちらも大盛況。とくにプーチン氏はこの店舗がお気に入りで、大統領就任後も当時のシラク仏大統領やブッシュ米大統領を招き食事を共にする(*11)。

その後、プリゴジン氏は学校給食や軍のケータリング事業などを手がけ、富を築く。そのことから、「プーチンの料理人」というあだ名が付いた。

民間軍事会社ワグネルが設立されたのは、2010年のこと。ロシアでは以前から正規軍が関与できないような作戦に従事する秘密部隊の整備が必要だとの議論があった。

そのような部隊を、ロシア軍内のスパイ組織である参謀本部情報局(GRU)の傘下に置くという案もあったようだが、しかし結局、軍の外部にワグネルを創設し、一介の民間人であるプリゴジン氏に任せることになった。

その後、ワグネルは、シリアやウクライナ東部の特殊作戦に従事してきたほか、アフリカにおいて政情が不安定な国で軍事顧問や警備の仕事を請け負ってきた。代わりにワグネルは、金やダイヤモンドなど利権を手にしてきたとされる。

ワグネルとプリゴジン氏がロシアのために築いてきた軍事・商業ネットワークは、しかしプリゴジン氏が死去したことで“宙に浮く”形となった。プリゴジン氏の死去による不透明感が、今後、アフリカを襲う可能性も。

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