なぜ、日本初の地下鉄を作った実業家はことごとく反対されたのか?

 

最初の関門は敷設免許の申請でしたが、まず反対意見を破るため、徳次は次のような調査を行いました。

一つは地質調査です。

地盤の強さを確かめる方法を考えていた徳次は、東京には日本橋など橋が多いことにヒントを得ます。

市の橋梁課に掛け合って建設時の地質図を手に入れ、地下深くには頑丈な地層があると確認するのです。

二つ目は湧水調査でした。

掘削に伴う湧水があるか調べるため、徳次が着目したのが道端に点在した撒水用の井戸です。

その構造を調べると、井戸の底からさらに鉄管を打ち込んでようやく水を確保している。これなら過剰な心配は要らないと確信したのでした。

三つ目は交通量調査です。

莫大な建設費のかかる地下鉄を認めてもらうには、ここに地下鉄を通せば地上の渋滞が緩和され、採算が取れるという根拠が必要です。

徳次は上着のポケットに白色と黒色の豆を入れて交通量の多い街頭に立ち、人が通れば白い豆を、電車や馬車、自動車が通れば黒い豆をズボンのポケットにそれぞれ移し、地道な努力を重ねていきました。

分かったのは、浅草~上野~銀座~新橋を結ぶ道が最も交通量が多いということでした。

こうして、専門家たちの意見を覆す資料を自らの手で示していきました。

人を動かすには、相応の根拠が要る。それを重々分かっていたのでしょう。

image by: TK Kurikawa / Shutterstock.com

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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