なぜ、日本初の地下鉄を作った実業家はことごとく反対されたのか?

Tokyo,Japan,-,May,9,,2015:,Tokyo,Metro,Subway,Map.
 

今では人々にとって欠かせないものとなった地下鉄。その誕生について、意外と知らない人も多いのではないでしょうか。今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、東京の地下鉄の生みの親である早川徳次氏の志について語っています。

日本初の地下鉄誕生秘話

大都市東京の地下に、蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下鉄。

計13路線304キロ、一日に約690万人が利用するこの鉄道網を現実のものとしたのが、ある青年実業家の志だったことは、あまり知られていません。

地下鉄の父・早川徳次(のりつぐ)。日本、また東洋初となった大事業を成し遂げたその「挑戦と創造」の歩みとは。

『致知』2022年5月号にご登場いただいた、地下鉄博物館学芸課長の玉川信子さんのお話をご紹介します。

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必要は不可能も可能に変えていく
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明治時代後期の東京の状況に目を移すと、交通手段は路面電車が中心でした。

ただ、増え続ける人口に対して路面電車は既に限界に達しており、「満員電車」が東京の名物として流行歌にもなっていました。

そんな中、徳次は鉄道院の嘱託として欧州視察へ出発。

最初に訪れたロンドンで、市街地を縦横に結ぶ世界最古の地下鉄を見て感動します。

日本の近代化のためにも地下鉄が絶対に必要だと痛感した徳次は、さらにイギリス各地、パリやニューヨークで研究を続け、一九一六(大正五)年に帰国します。三十五歳の時でした。

ところが志を熱く語る徳次への、学者や技術者の視線は冷ややかなもので、ペテン師と揶揄する人もいました。

「東京は昔海だったのだから、地盤が軟弱で無理だろう」と。

それでも徳次は、果たして本当に無理なのか、と考えます。

「必要の事は、何時か必ず実現する。必要は不可能のことすら可能に変へて行く」

これが徳次の信念でした。

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