調査だけで数十億円も交付。地方の目が「核のごみ」処分場に向いている訳

 

調査だけで交付金…

再処理により取り出したプルトニウムやウランを再利用する核燃料サイクルを日本は長らく国策として位置付けてきたが、しかし停滞してきた。

その大きな要因が核のごみの最終処分場のような「バックエンド」と呼ばれる、発電が終わった後段階を担う施設の立地場所が決まらないこと。

最終処分場をめぐっては2007年、高知県東洋町が最終処分場に関する初の文献調査に着手。しかし、町長選で反対派が当選し、計画は撤回された。

一方で、北海道の寿都(すっつ)町と神恵内(かもえない)村は2020年11月、全国で初めて最終処分場に関する文献調査を開始している(*3)。

地域が調査を受け入れる背景には、人口減や産業の低迷があり、自治体の将来が危ぶまれているからだ。一方で、最終処分場のバックエンド施設に対する調査を申し込むと、多額の交付金が期待され、その交付金で地域の生き残りを狙う。

最終処分場の調査は、文献調査(2年程度)▽概要調査(4年程度)▽精密調査(14年程度)──と進むが、交付金の額はいずれも最大で、文献調査で20億円、概要調査で70億円に上る(その後の額は未定)。

中間貯蔵施設も調査段階で年間1億4,000万円、知事が建設に同意すれば、さらに年間9億8,000万円を2年間受け取れる仕組みだ(*4)。

他方、対馬の比田勝市長は風評被害を大きく気にした。市長は、

「対馬でも福島第一原発事故で韓国との水産物が取引禁止になり、韓国からの大勢の観光客が突然少なくなった。対馬の水揚げ高は168億円。10%でも16億円ぐらいの被害が出る。観光業でも消費効果額が180億円を超えている時もあったので、大きな被害が出る恐れがある」(*5)

と語る。

対馬は、昭和の時代、カドミウム鉱害に苦しんだ歴史がある。イタイイタイ病の発生も疑われた(*6)。

かつてはカドミウム汚染に苦しめられ

対馬は、かつて昭和の時代に鉱山がつくられ、カドミウム汚染の問題に苦しんできた。その過程では、イタイイタイ病の発生も疑われた(*7)。

汚染の原因となったのは、対州鉱山。この鉱山は旧厳原町に位置しており、対馬市の中でも中心的な存在。

対馬と鉱山との歴史は古く、古代から銀の産出によって地域が栄えてきた。1939年には日本亜鉛が買収し、その後も東邦亜鉛が対州鉱業所を設置し、亜鉛や鉛を採掘してきた。

一方で、地元はカドミウム汚染に悩まされてきた。カドミウムは亜鉛族元素に分類される物質であり、骨がもろくなる「イタイイタイ病」の原因とされている。実際、1969年には要観察地域に指定された。

対州鉱山は1973年に閉山したものの、長崎大学が約30年にわたって住民の健康被害の追跡調査を続けた。イタイイタイ病と同じ症状の住民が確認されたものの、しかしその原因は断定されていない。

しかし影響は今も続いており、東邦亜鉛は鉱山保安法などに基づき、発生源対策や坑廃水処理を行っている。ただ、閉山後も一度も基準値を超えていないという(*8)。

他方、対馬は、「核のごみ」の最終処分に関して長い歴史をもつ。1980年代には、動力炉・核燃料開発事業団の地質調査により、対馬の一部地域が「処分地として適している」と評価された。

さらに、最終処分事業を担う原子力発電環境整備機構(NUMO)は2006年ごろから複数回にわたって説明会を開催する。

一方、市は、議会が8月16日に特別委員会で調査受け入れを求める請願を採択したことを受けて、同25日にエネルギー庁に13項目の質問状を送付。また、同29日にはNUMOに8項目の質問状を送付した。

これらの質問は、すでに文献調査に入っている自治体や他の関心を示す自治体の現状についてのものから、国が実施可能な手続きや安全性の確認などにわたる。一方、毎日新聞の取材によると、これらの質問に対して「ゼロ回答」だったという(*9)。

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