なぜ、公務員が加入していた共済年金は「厚生年金に統一」されることになってしまったのか?

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公務員や私立学校教職員が加入する公的年金制度は「共済年金」とかつては呼ばれていました。しかし、のちに厚生年金に一元化される流れになったわけですが、一体なぜなのでしょうか。今回は人気メルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』の著者で年金アドバイザーのhirokiさんが、メルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座【過去記事改訂版】』で厚生年金に統一された流れや、統一後の年金はどうなるのか?などについて詳しく紹介しています。

平成27年10月に共済は厚生年金に統一されたが、両者から年金支給される場合の在職年金はどうなる?

1.平成27年9月まで厚生年金と共済に存在した相違を10月から厚生年金に統一。

平成27年10月の事ですが、厚生年金に共済年金を統合させました。

両者は制度的にはいろいろ違いがあって、共済年金は有利と言えば有利でした。

特に、昭和61年4月にすべての国民に職業に関係なく国民年金を共通の給付として統一した基礎年金制度ができるまでは、給付も厚生年金に比べてかなり高い事で批判が高まっていました。

そのため、官民格差であるという事で批判が強く、両者の水準を同じにしていく方向に向かいました。

少し歴史を振り返りますと、厚生年金は昭和40年から給付改善を行っていき、その昭和40年改正が行われるまでは概ね月額3,500円程度だったのが約1万円になり、昭和44年改正で約2万円になり、昭和48年改正で概ね現役男子労働者の給与の60%台の給付をという年金の実質価値を維持する考え方を取り入れながら、厚生年金給付は月額約5万円になりました。

なぜそんなに引き上げていったかというと、昭和30年代になって昭和20年代後半までの朝鮮戦争で急激に景気が良くなって、更に昭和35年に池田勇人総理大臣の10年で所得倍増計画というものでますます賃金が上がり、昭和39年に開かれた東京オリンピック景気、そして昭和41年から昭和45年ごろまでも好景気がずっと続きました。賃金が毎年10%ずつ、物価が毎年5%ほど上がっていきました。

よって、賃金と年金との差が開き続けていったため、年金を急ピッチで引き上げる必要があったわけです。

引き上げに踏み切るまでは賃金に対して約2割くらいの年金でしたので、それじゃあ老後の生活費としては低すぎますよね。

例えば世の中が一般的に月20万円生活している中で、4万円で生活するようなものです。

このように、だいぶ厚生年金も給付が改善されましたが、共済年金と比較するとどうしても制度的に違うままでした。

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