習近平国家主席を頂点とする中国を、権威主義国家とみなす西側諸国。しかしそんな見立ては、必ずしも正鵠を射ているものとは言えないようです。今回のメルマガ『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』では、著者で多くの中国関連書籍を執筆している拓殖大学教授の富坂聰さんが、米中関係を「民主主義VS権威主義」と理解することを疑問視。さらにアメリカに中国を批判する資格がない理由を解説しています。
米中関係を「民主主義」対「権威主義」と見るナンセンス
新年初めてのメルマガである。だから少し大所高所から話をしようと、使い慣れた言葉を再考しようとテーマを設定した。
中国を分析するとき、小さな誤差の蓄積によって、後に補いきれない大きな誤解となってしまう問題が繰り返されてきた。それを補う上でも重要な試みだ。
誤差というのは何か。その多くは理解している「つもり」から生じている。新聞報道などで頻出するワードを、本当に理解して使っているわけではないことから生じる誤差だ。
試みに一つ例を挙げれば、「(中国の)力による現状変更」だ。
中国が力を背景に秩序やルールを強引に変更していることを詰る言葉だ。現在、「中国が現状」と聞いて違和感を覚える日本人はほとんどいないだろう。
だが、ふと立ち止まって「中国がどんな力を使い、何を変更したのか?」と自問したとき、滞りなくすらすらと説明できる日本人は何人いるのだろうか。
多くの人は、「南シナ海での中国の行動」を思い浮かべるかもしれない。しかし、南シナ海での中国の行動が「現状変更なのか」と問われれば、首をかしげざるを得ない。
中国が南シナ海の地図に十一段線(当時は中華民国)を引き、権利を主張したのは戦後間もなくのこと。つまり中国は80年ほど前からずっと同じ主張を繰り返していることになる。力をつけ取り締まりを強化したかもしれないが、主張は「変更」していないのだ。
イメージが先行する批判は、対立関係のなかで独り歩きする危険性がある。そのことは米中の対立も例外ではなく、受け手は慎重になる必要がある。
米中対立を「民主主義VS権威主義」と表現することも同じだ。
まず前提として中国は自分たちが「権威主義」と呼ばれることに納得していない。レッテル貼りだと反発している。
権威主義とは何か。一般的には、「権威を絶対的なものとして重視する考え方。権威をたてにとって思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする態度」(デジタル大辞泉)だと説明される。
中国が意図的に中国共産党中央総書記を「核心」と位置付け、権威と権力を集中させているのだから、その特徴を以て「権威主義的」と表現するのは、あながち間違いとは言い切れない。また「盲目的に服従」という点でも、党中央での合意形成を重視し不協和音を外に漏らさぬことに徹しているのだから、西側社会に暮らす人々の目にそう映るのも仕方がない。
問題は米中を「権威主義」とそれと相対する「民主主義」とに分け、相手のことを「遅れた」、もしくは「不完全な」制度の国と位置付けようとする点にある。
こうした批判に習近平政権は、「中国には中国の民主主義がある」、「上から目線で注文を付けるな」と反論している。
確かに胡錦涛時代までの中国には民主主義先進国としての旗を振りかざすアメリカに、反発しながらも「ある種の遅れ」を自ら認めてきた面があった。しかし習近平の時代になると、次第に自分たちのシステムに自信を持つようになったのである。
中国のこうした変化に西側世界は「自分たちに都合の良い秩序を形成しようとしている」と警戒し、習近平に「秩序破壊者」とのイメージを植え付けようとしてきた。
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