なぜ、韓国人は気に入った人に「オリオンのチョコパイ」を渡すのか?

 

1974年4月、チョコパイが生まれた。カステラ、あんこ、クリームなど似たような味で綴られていた韓国市場にチョコレートとマシュマロという新しい版図を開いた瞬間だった。累積売上7兆ウォン。460億個が売れた。並べれば地球130周を回ることができる量だ。

最初は1個当たり50ウォンだった。ラーメン1袋が20ウォンの時だ。チョコパイはパンではない。パイ、だからお菓子だ。菓子にしては決して安い価格ではなかった。それでもうまくいった。おいしいから。需要が急増し、ひと月の生産規模が1977年17億ウォン、1978年26億ウォン、1979年83億ウォン、1980年122億ウォンに跳ね上がった。1996年には製菓業界で初めて単一製品の月売上が50億ウォンを超えた。

ライバルが現れた。1978年ロッテ製菓(現ロッテウェルフード)、1986年にはヘッテ製菓、1989年にはクラウン製菓がチョコパイのラインナップに飛び込んだ。もはや対決は宿命だった。

ブランド名からぶつかった。クラウン製菓は「チョコパイ」の「チョ」のハングル表記を点をもう一つつけて100%同じではないものにしたが、ロッテは100%同じだった。名前も味も形も似ているので、ナーバスにならざるを得ない状況だ。

オリオンは「ロッテ側の商標登録を取り消してほしい」と訴訟を提起した。2001年、最高裁判所の判決が出た。「チョコパイは商標として認識されているというよりは、円形の小さなパン菓子にマシュマロを入れてチョコレートでくるんだ菓子類を指す名称」とし「チョコパイは原告が創作した造語であることに相違ないが希釈化され、該当商品の普通名称ないしは慣用シンボルになっていて商品の識別力を喪失した」と。

このようにチョコパイは個人所有になれない「普通名詞」の運命を受け入れざるを得なかった。不本意ながら「国民商標」になってしまったわけだ。悔しいオリオンとしては、差別化戦略が必要だった。そこで考えられたのが「情」の漢字をパッケージに入れることだった。1989年に導入したが、それからは本格的に感性に触れる「『情』マーケティング」に集中した。

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