安倍氏“暗殺”から2年。何ひとつ解明されていない自民党と統一教会「闇の本質」を有田芳生氏が斬る

 

本質に触れなかった報道

私は2023年4月に安倍晋三首相の後継議席を争った山口4区補選に出た。そのとき20代の若者たちと話をしていて驚いた。創価学会、幸福の科学、オウム真理教の名前は知っていたが、統一教会は安倍晋三銃撃事件が起きて初めて知ったというのだ。事件をきっかけにメディアの報道はおびただしいものがあった。私の率直な思いでいえば、表面的なものが多く、本質に進むことがなかった。議員が教団系の「世界日報」に出た、集会にメッセージを送ったなどなど、すべて悪いかのように報道された。統一教会を知らずに「うっかり」関わってしまった者と反共思想に共鳴した「確信議員」とは区別しなければならない。

桜田淳子さんたちが出席した1992年の合同結婚式の報道から「空白の30年」があり、その時間に統一教会と関連組織は自民党議員たちに浸透していった。そこには明確な意図があった。国会議員との関係が組織的に強化されたのは、40年ほど前の1980年代からのことだ。1986年。中曽根康弘総理のとき、衆参ダブル選挙が行われ、自民党は「空前の300議席」(毎日新聞)と報じられるほど圧勝する。

この選挙のとき、統一教会=国際勝共連合は、自民党議員に組織的に接触、教団を支持する候補者に「推薦確認書」=「政策協定」へのサインを求め、熱心な選挙運動を展開した。当選議員は「勝共推進議員」としてのちに「思想新聞」(1990年3月25日号)に名前が公表された。このとき衆参国会議員は合わせて150人。安倍晋太郎、細田博之、麻生太郎などの名前が列挙されている。統一教会の理念に賛同して反共の立場に立つならば、選挙支援を行うという合意だ。

組織的に送り込まれた秘書

熱心に行動してくれる選挙運動員ほどありがたい人たちはいない。統一教会の信者たちは、指示に基づいて支援する国会議員候補者のための選挙運動を行ってきた。衆参ダブル選挙が終わった1986年8月から統一教会は国会議員秘書養成講座をはじめた。場所は京都の嵐山にあった「嵯峨亭」だ。

全国から91人の女性信者が選抜されて集められた。信仰講座、秘書実務、関西地方での「勝共カンパ」実践などを経験して、最後は神戸のホテルでフランス料理を食べながらマナー講習を受けて、養成講座は終わった。信者は国会議員の公設秘書、私設秘書に派遣された。これが1期生だ。

安倍晋三銃撃事件が起きた翌月。私は安倍元総理と親しい大臣経験者と話をした。信者秘書について聞くと「いっぱいいますよ」と答えて、こう付け加えた。「優秀なんですよ」。私はさらに信仰歴が50年を超える元幹部にも同じ質問をしたが、答えは「いますよ」。自民党が行った教団との関係アンケートは、信者秘書が担当したケースもあるだろう。正確なものになるはずがない。

なぜ信者を国会議員秘書にするのか。それは議員に影響力を与えるためだ。文鮮明教祖は、1984年にアメリカで脱税のため懲役刑(1年半)を受けたため、日本の入管法の規定(第5条4項=日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者)で入国できなかった。金丸信自民党副総裁などに働きかけて超法規的に日本を訪れたのは、1992年3月26日から4月1日までだった。警察に強い国会議員に使える「対策費」は月にたいてい1億円。さらに教祖が2012年に亡くなってからは家庭教育支援法など、教団の理念を政治に反映させることも目的となった。

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