バカ息子を首相秘書官に起用する庶民感覚との乖離。岸田首相が国民から蛇蝎の如く嫌われた分かりやすい理由

2024.09.02
 

完全に安倍首相の軍門に下った宏池会の領袖

また、「今の政治課題に、安倍総理を中心にしっかりと取り組みを進める」と言ったことも問題だった。これは、かつて宏池会の領袖だった谷垣禎一総裁が中心となって公明党、民主党政権と「三党合意」して実現した「税と社会保障の一体改革」を事実上反故にして進められている「アベノミクス」に挙党態勢で全面的に協力すべきと、岸田氏が主張したことを意味した。

「アベノミクス」の評価は別の話としたい。だが、言えることは、宏池会といえば、伝統的に「健全財政」であり「軽武装経済至上主義」の「保守本流」だ。安倍首相の出身派閥「保守傍流」である「清和会」とは明らかに違うのは、国民のよく知るところだ。その宏池会の領袖が、完全に安倍首相の軍門に下ったことを意味した。権力闘争、政策の両面で、岸田氏は弱さを国民に見せつけてしまった。

そして、2021年9月、安倍首相退陣で行われた自民党総裁選。案の定、安倍首相から岸田氏への「禅譲」はなかった。あるわけがないのだ。戦後政治の歴史を振り返れば、禅譲を狙って裏切られ捨てられた事例は多数あるからだ。

例えば、現在岸田氏が率いている宏池会の会長だった前尾繁三郎元衆院議長は、1970年の佐藤栄作元首相による佐藤4選の総裁選で、「人事での厚遇」の密約を理由に不出馬を決めたが、結果的に佐藤氏に約束をほごにされた。前尾氏は派内の反発を買って宏池会会長の座を大平正芳元首相に譲らざるを得なかった。

そもそも、生き馬の目を抜く政界で「禅譲狙い」は、上手くいくわけがない。岸田氏は18年の総裁選後、政調会長に就任したが、アベノミクスを無批判に、礼賛し続けるしかなくなった。持論は封印して服従するしかなかった。

「禅譲狙い」は、首相と一蓮托生となり、心中するしか道はないだけではなく、それ以上に厳しいものだ。一生懸命働いても、手柄は自分のものには絶対にならない。なにか落ち度があれば、すべての責任を押し付けられる。いいことは何もないものだ。

そして、この政調会長の時に「河井案里選挙違反事件」が起こった。岸田氏の地元が大量に買収された。その背後に安倍首相・菅義偉官房長官がいたと言われているのだ。

安倍氏が岸田氏への「禅譲」を見送ったウラ事情

岸田氏が、落ち度の責任を押し付けられた事例に、安倍政権が新型コロナウイルスを巡る経済対策の1つとして打ち出した、「国民1人当たり一律10万円を現金給付」を決定した時のゴタゴタがある。当初、「減収世帯に30万円を給付する」という措置だったが、国民から酷評された。制度そのものが分かりづらい上に、自己申告が煩わしく、いつもらえるかも分からない。本当に必要な人がもらえるのかどうかも分からなかったからだ。結局、公明党が首相官邸に泣きついて、「一律10万円の現金給付」に急遽変更となった。

当初の現金30万円給付は、岸田氏が政調会長として財務省と取りまとめたものだった。岸田氏に対して自民党内からの批判が噴出した。「公明党が言えば、ひっくり返すというのはどういうことか」「党は政府の下請けではない」「岸田氏は終わりだ」などと叩かれ、岸田氏のメンツは丸つぶれとなり、「ポスト安倍」として力量不足と酷評されてしまった。

岸田氏の政治的センスのなさと力量不足を不安視させる事態が続き、世論の岸田支持も盛り上がらなかった。安倍首相は、岸田氏ではとても勝てないとみて、岸田氏への「禅譲」をやめたというのだ。

そして、安倍首相の辞任記者会見の後、首相の周囲は即座に動いた。微塵も「ポスト安倍」への色気を見せなかったはずの菅氏が出馬の意向を示し、一気に「菅後継」の流れとなり、岸田氏はあっという間に蚊帳の外になった。やはり、「禅譲」などありえなかった。

print
いま読まれてます

  • バカ息子を首相秘書官に起用する庶民感覚との乖離。岸田首相が国民から蛇蝎の如く嫌われた分かりやすい理由
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け