拭えなかった「頼りない」「お人よし」というイメージ
ただし、かなり酷評したので、1つだけフェアに言っておきたいことがある。「禅譲」がないとはっきりした後、岸田氏は、出馬表明の記者会見で「大変厳しい道のりを感じているが、国民のため国家のため、私の全てをかけてこの戦いに臨んでいきたいと思います。一人でも多くの国民のみなさんに共感してもらい、力を与えていただき戦いを進めていきたいと思う」と述べた。岸田氏は開き直ったのか、その言葉にこれまでにない力強さと率直さがでてきた。
岸田氏は確かに豹変したと思う。だから、その1年後、絶対にないと思っていた総裁選の勝利を得た。その後も、支持率低下はともかく、やりたい政策を次々進めていく姿は、別人となった。ある意味、脱帽である。
しかし、首相になる前に張り付いた、「頼りない」「お人よし」の不器用なイメージは、ついに拭うことができなかったのではないか。
致命的な政治家としての「価値観や感覚の古さ」
もう1つ、岸田首相と庶民感覚の乖離を指摘しておきたい。政治家としての「価値観や感覚の古さ」である。
まず、岸田首相は、22年10月に息子の翔太郎氏を首相秘書官に起用した。野党などから「時代錯誤」だと厳しい世襲批判が巻き起こった。だが、首相はどこ吹く風だった。それどころか、23年1月の欧米5カ国訪問に翔太郎氏を同行させた。
この際、翔太郎氏が公用車でパリやロンドンを観光しただけでなく、カナダのジャスティン・トルドー首相に記念撮影を申し込み、周囲のひんしゅくを買ったと週刊誌が報じた。いわば、仕事ではなく「物見遊山」気分だったというわけだ。言わずもがなだが、翔太郎氏の行動は、首相の息子という「特権」を利用していると批判された。
衆議院・予算委員会では、野党から「この人事は適切か」と問われる一幕もあった。ところが、岸田首相は翔太郎氏のことを「政治家としての活動をよりよく知る人間」と高評価し、彼の政務秘書官採用には「大変、大きな意味がある」と言ってのけたのだ。
答弁における岸田首相の表情からは「一体何が悪いのかわからない」という戸惑いが見えた。政治家を「家業」と考えて、息子に「世襲」することにまったく疑いがないように思えた。
岸田首相は、祖父・父親が国会議員の「3世議員」だ。岸田家代々の地元・広島ではなく東京で生まれ育ち、開成高校卒業後は東京大学を目指した。だが受験に失敗し、2浪の末に早稲田大学に進学。卒業後、日本長期信用銀行勤務を経て、衆院議員だった父・文武氏の秘書となった。
いわば、非常に恵まれた家系に生まれたわけだ。だが、岸田首相にとって、そのことが「当たり前」になっているのではと勘繰りたくなる場面がしばしばある。例えば、岸田首相は「東大に3回落ちた。私は決して線の細いエリートではない」と述べたという。
また、首相秘書官だった荒井勝喜氏が性的少数者を巡る差別発言を行い、岸田首相自身も「ダイバーシティへの理解不足」を指摘された際、岸田氏は「私自身もニューヨークで小学校時代、マイノリティーとして過ごした経験がある」と反論したという。あくまで報道から受ける印象にすぎないが、こうした発言を見た際、「2年間の浪人生活が許されること」や「ニューヨークの小学校に通えること」がどれほど恵まれているかに思いが至らないのではないかと感じた。首相でありながら、こうした「世間とのズレ」を往々にして露呈している点に、「価値観や感覚の古さ」を感じたわけだ。