「メンタイは社長の道楽」と呆れる従業員たち
やがて、業務用の卸問屋ではつまらない、「わざわざ人が買いに来るような目玉商品を作りたい」と思うようになった川原は、釜山で食べた「メンタイ」を懐かしく思い、記憶を頼りにメンタイ作りをはじめる。
だが、試作品を食べた身内からは「まずい」「辛すぎる」と大不評。
手に入る香辛料は、鷹の爪と一味ぐらいしかなく、日本人好みに辛さを調整するために、いろんなものを混ぜてみたが、まったくダメ。何度も味見させられた人たちからは「食べられるシロモノではなかった」「気持ちが悪かった」などの証言が残っている。
月に3回、毎回10kgのたらこを取り寄せており、たらこの品質が重要だと気づいてからは、厳しく検品して、たびたび突き返すようになり、海産物問屋を泣かせてもいた。
だが、新しい試作品を食べさせられる人は、一様に微妙な顔を見せる。
従業員たちも、「メンタイは社長の道楽」「メンタイのぼせ」と呆れており、親戚には「むだな仕事」「やめろ」とはっきり言う人間もいたという。
何度も作っては捨てを繰り返し、ガラスの金魚鉢に入れて店先に並べてはみるのだが、まったく売れない。
この「まったく売れない期間」が、なんと10年も続いているのだが、ずっとメンタイ作りにこだわり続けて、試行錯誤をやめなかったというから、川原の執念がすごい。
未来に大人気商品が生まれると信じる人間がいない中、唯一、真剣に手伝っていたのは、妻の千鶴子だった。千鶴子は、主婦の舌で、一般家庭のおかずと一緒に食べられる味にできるかどうかを考えており、川原には誰よりも厳しい意見を言って、ずっと味の調整に付き合っていた。
やがて、夫婦で納得できる調味液を完成させると、今度は、唐辛子にも旨味と風味を感じられるこだわりが必要だとなり、京都の香辛料工場に相談して、何度も何度も調合と焙煎を繰り返した末、とうとう、特別な配合をしたパウダー状の唐辛子を誕生させる。
この唐辛子パウダーは、現在も使われているものだが、原料を入れる順番を間違うと、味が変わってしまうほど繊細なものらしい。
ようやく「これだ!」と言えるメンタイにたどり着いた川原が、人々を料亭に招待して試食させると、みんな「うまかばい」「これ、どうしたと?」と大喜び。
こうして苦節10年、川原は「ふくや」の『味の明太子』を完成させた。
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