美しく見えるもの、よく見えるものというのは、大抵「嘘」なのかもしれません。メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教師の松尾英明さんは、三島由紀夫が書いた一冊からの気づきを紹介しています。
善く美しく見えるウソ
次の本を読んでの気付き。
『不道徳教育講座』三島由紀夫著 角川文庫
道徳教育を本気で真剣に考えると、正論では決して通らない。逆説的な視点が必要である。そういう意味で、道徳教育を真剣に考える人間にとって、うってつけの本である。また、タイトルからしても、『不親切教師のススメ』の兄貴分のような名称である。
「ウソの法則」というものがある。本文より引用する。
ウソが本当らしくみえればみえるほど、美しくみえる
これを裏返してみれば、一見美しくみえるものほど、ウソの可能性が高いということでもある。誇大広告や美辞麗句はその典型である。SNSの写真の場合を考えれば、もはや説明不要である。
教室実践にもこれは言える。学級経営の全てが上手くいくことはない(断言)。一見して素晴らしいものには、必ず裏で何か綻びや無理が生じている。
『聞き上手なクラスのつくり方』の本にも書いている。「静かすぎるクラス」に感じた違和感(同書P.47)ということも書いている。子どもをよく変えてあげようという親切心を捨て、聞かない子どもを変えることは諦めましょう、とも書いている。数多の技術を駆使して、それでも上手くいかないことが多々ある、というのが真実である。
だから、誰にとっても完璧に見える方法や実践は、総じて危ない。それが合うか合わないかという点で言えば、全体の3割に合うようなものは、相当優秀な実践である。
見極め方は、兎にも角にも、やってみることである。そうすれば、時々上手くいくことがあるとわかる。SNSで見たイメージと実際に見たり手にとったりしたもののイメージが合致する確率と同じである。
学級経営の中でもいえる。自分の中で、上手くいってると思い始めたら、危ない。ある子どもを見て、完璧だ、全部何もかもできていると思ったら、その子への見方も危ない。美しい部分を剥がして裏を見る必要がある。
これは、美点凝視という話とは違う。美点凝視とは、なるべく良い面を見ようという試みである。前提として、悪いところばかり見てしまうから、この心がけに意味がある。
誰が見ても疑いようのないほど上手く見える、美しく見えるものには、逆の視点が必要である。あら捜しをするのではない。大多数が褒めそやすものは「何か変だ」という視点を忘れないことである。
善く美しく見えるものは、ウソを疑え。他者以上に、自分自身に対する日々の心がけに役立つ、先人の教えである。
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