「既存メディアで40年間飯を食ってきた私が言うのだから間違いない」――元読売テレビアナウンサーでジャーナリストの辛坊治郎氏が、兵庫県斎藤知事報道をめぐるオールドメディアのウソと大罪を忖度なしであばく。(『辛坊治郎メールマガジン』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:辛坊治郎メールマガジン 第715号 11月29日発行「兵庫県知事を巡る報道について」
読売新聞にSNSを批判する資格はあるのか?
再選された兵庫県の斎藤知事をめぐる報道を見聞きしていて、心底嫌気がさしています。
例えば読売新聞はこの件に関して11月24日から25日にかけて、上下二本の連載を一面に掲載したのですが、その見出しが、
「閲覧稼ぎ ゆがむ論戦」
「正確性より収益重視」
「正義と信じ『敵』攻撃」
等々です。
もちろんこの連載は、SNSを中心とするネット情報批判記事なのですが、見出しの「閲覧」を、「視聴率」や「発行部数」等に置き換えると、そっくりそのまま既存メディアの現状を示してしまいます。
既存メディアこそ「視聴率」や「部数」の数字偏重で論調をゆがめてきた
私は長年テレビの現場にいて、ワイドショーなどがどういう方法で視聴率を稼いできたのか、それなりに知っています。
これについて、現場を批判することが酷であることも分かっています。
例えばテレビの場合、放送翌日の朝には、担当者にメールなどで前日の視聴率が通知されます。
視聴率は、かつては「猫しか見ていなくても視聴率」と言われたように、調査対象世帯に置いてあるテレビが何チャンネルにセットされているかではじき出されていました。これが新聞などに「視聴率20%越え」等の表現で掲載される伝統的な世帯視聴率です。
しかし「猫が見ていても視聴率」で広告料金を請求されるスポンサーはたまったもんじゃありません。そこでスポンサーからの要請で、その後、見ている人が家族の中で誰かを手動で特定する「個人視聴率」の時代に入ります。
今では自動的に視聴者を特定できるシステムが稼働していて、例えば化粧品などのCMをイメージすると分かりやすいですが、テレビを見ている人の性別、年齢などの属性別の視聴率が極めて重要な業界のファクターになっているのです。