このような歴史の流れの中で、「反共意識」が乏しかった私には、自分とは関係ない事件であると思っていたので、唯、「大変な事件が続くなあ」というくらいにしか認識していなかった。
しかし、前号でも言及したが、ある日、韓国の公安が寄宿している保証人の事務所を訪ねてきて、私に「民青学連事件で逮捕された学生を知っているか、交流はあったのか」と尋問してきたので、私は「知らない。他の日本人留学生とも付き合いはない」と答えた。するとこの公安の方は「ソウルにいる日本人留学生は少ないはずだ。その少ない留学生と付き合いがないというのか」と疑いの語調で聞いてきた。
当時、韓国の大学や大学院に留学している日本人学生は少なかった。私が知っている留学生と言えば、留学先の慶熙大学の近くにあった高麗大学の大学院に来ていた二人の留学生で(二人は天理大学出身で韓国語が堪能であった)、数回あったことはあった。当然のことながら相手の下宿先の住所や電話番号などを聞くような間柄ではなかった。公安の方は私の顔を訝し気に見ながら、「手帳を持っているだろう。見せろ」と言って来たので薄っぺらい手帳を見せると、ぺらぺらとめくって、「確かにこの手帳には仲間の連絡先はないな」と言って返してくれた。
そしてその時、「これからは手帳を持って歩かない方がいいぞ。今度の事件では捕まった連中の手帳から他の奴らを芋づる式に捕まえたからな」と言った。私はこの時の忠告と警告を肝に銘じて今も手帳を持って歩くことはないが、当時の日本人や在日韓国人の留学生は常に公安の監視下にあった。(宮塚コリア研究所 宮塚利雄 代表)
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