スキルアップや外見など、変化を遂げていく中で何かと気にかけてしまうのが「他人と比較」したときの自分。会社の同僚や友達、SNSで目を引く人など比較対象は様々ですが、他人と比較することは自分自身にとってポジティブなことと言えるのでしょうか?「他人と比較しては劣等感を感じてしまう」と相談を受けたのは、『結城浩の「コミュニケーションの心がけ」』の著者である結城浩さん。自身も他人と比較することはあっても、考え方にコツがあると回答。成長や変化に対して、「他人との比較」をどのように捉えればいいのか解説してくれています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:19歳、他人と比較してがんばることについて
「他人と比較」する時の正しい考え方とは?
Question
19歳、大学受験生です。
うまくいけば、この春から大学生となり本格的に数学を学ぶことになります。結城さんに「他人と比較すること」について質問したいことがあります。
数学をやっていく中で多くの人と仲良くさせて頂いてます。高校の友人からTwitterで知り合った人までいろんな場所でいろんな人と出会いました。そういった中で、ふと周りを見渡すと「自分より優秀な人」しか居ないという状況になってしまいました。
理解のスピードも発想力も素晴らしいものを持っていて、また大学で勉強するような高度な数学に精通しているような人もいます。そんな知人たちの背中を眺めていたり、実力差を感じるような場面があると、どうしようもなく悔しく、負けたくない、もっと数学が出来るようになりたいと強く思っていました。
しかし最近、そのように他人と比較して劣等感を抱いたりすることは「健康でない」のではないかと感じています。小さい頃から周りと比較しがちな性格であるので、それを上手く利用しようと頑張っているのですが、どうも「本当にすごい人」は他人と比較することなんてしてないように見えて、すごく羨ましいというか、「それが本来あるべき姿」なような気がしています。
結城さんは以前、「数学をすることに関して、他人と比較することは無意味」というような内容のツイートをしていたと思います。
結城さんは他人に対して劣等感を感じたりすることはありますか。そして、何かを極めたいとする時に、他人と比較することに関して、そしてそれを自分のパワーにすることに関してどうお考えでしょうか。
結城浩さんからの回答
ご質問ありがとうございます。
結城への質問でも、「他人との比較」というのは頻繁にやってくる話題です。
私はあなたに対して「これを強制したい」や「こうすべきである」という強い考えがあるわけではありません。ただ、いただいた質問から私が思うことを率直に書いてみようと思います。
「他人と比較をする」というのは多かれ少なかれ誰にでもあります。また、他人と比較して実力差を感じるときには、誰しも程度の差はあるものの、悔しかったり悲しかったりするものです。もちろん、程度の差はあるでしょうけれど、何らかの「うっ」と来る感情はあるでしょう。
「自分が何を感じるか」は制御できません。しかし、他人と自分を比較した後で「自分がどうするか」はある程度制御できます。感情は制御できないけれど、行動はある程度制御できるという意味です。他人と比較をして自分が劣っていると感じることをはげみにして、がんばろうという人は少なくありません(その良し悪しを言ってるわけではありません)。
私個人の話をすれば、人の良い活動や行動をみて「このような良い活動をしよう」とは思います。でも「この悔しさをバネにしてがんばろう」とはあまり思いません。他人との比較を土台にして活動を組み立てたり、他人との比較を活動の原動力にはしてないということです。
あなたが書いていた「本当にすごい人は他人と比較なんかしていない(らしい)」というのは、そういう面はあるだろうとは想像できます。ところで「それが本来あるべき姿だが、自分は比較ばかりしている」というのは、メタな比較になっちゃってますね(揶揄しているのではありません)。
私個人も他人と比較をしないわけではありません。でも、比較するときには「直接的な比較」ではなく「抽象度を上げた比較」をしています。
直接的な比較とはたとえば、「あの人は一年に本をX冊書いているが、私は一年に本をY冊しか書いていない(X > Y)。悔しいからもっと書こう」のようなことです。こういう考え方を私はあまりしないと思います。
抽象度を上げた比較とはたとえば、「あの人は自分の過去の仕事にとらわれず、新しいチャレンジを繰り返している。そういう態度は参考にしたい」といったものです。あるいは「あの人は失敗をしたときに誤魔化さず、自分のミスをきちんと認めている。そういう行動は参考にしたい」といったものです。
いま例を書いていて思ったのですが、そもそも「比較をしている」とは言えないかもしれませんね。「参考にしている」という方が近いかも。それから、比較する場合でも「その人」を見ているのではなく、「やっていること」の方を見ているようです。
あなたは、まわりに自分よりも優秀な人しか居ないと書いていましたが、実はそれは悪い話ではありません。どこを見ても、何を見ても勉強になる環境と言えるからです。
性格にもよるのですが、自分が一番優秀であるという環境では、なかなか成長しにくいのは確かです。IT関連の会社に勤めているけれど、周りの意識や能力がそれほど高くないため、十分な刺激を得られなくて悩んでいるエンジニアさんのケースをときおり聞きます。
もちろん、まわりから頼りにされる環境で伸びていく人もいますので、いちがいには言えないんですけどね。
私は日々仕事のために勉強していますが、そのときには自分の身の丈にあったレベルの本を読むと同時に、ぜったい自分には理解できないという本に触れるように心がけています。それは自分ができることだけをやって、思い上がらないためです。
でもそれだけではありません。私の場合は、とてつもないレベルの差を感じると、やる気を失うのではなく、安心して進むことができるからです。
どういうことかというと、ーーー。(『結城浩の「コミュニケーションの心がけ」』2025年1月7日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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