異形の誹謗中傷モンスターに社会はどう向き合うべきか?
もしも社会に一定数、そうした因子をもっている人がいるとして、誹謗中傷被害に対しては告発と厳罰主義で対抗する、それで被害を最小化できるのか?というと、これは難しい問題だと思います。
仮に、ある種のどうしようもない「弱さ」を抱えている人が、どうしてもこの種の憎悪感情から逃れられないのだとすれば、そして、たとえば経済の低迷などが続く中で環境悪化が続くのだとすれば、事態の改善は難しいかもしれません。
仮にそうだとして、つまり弱さゆえに憎悪感情を管理・制御できないとして、これに同情はしませんし、まして正当性などまったくないと思います。ですが、厳罰主義に加えて、例えばですが心理の解明、そして何らかの治療的アプローチというのは研究されても良いと思います。
私はまったくの専門外ですから無責任なことは申し上げられません。ですが、それでも直感的に思いつくのは、人間の心理というのは、強さをすり減らして弱さに負けそうになるレベルでも、「与えることで強さの貯金ができる」ということです。
自分こそ最悪の被害者で、最も不幸な存在であり、持てる人間への誹謗中傷に罪悪感を感じないという人がいたとします。
そうした人でも、自分が何か役に立つ経験をして、誰かから頼られたり、誰かに何かを与えてそれが自己確認になったりすると、精神の残高が少しだけ増えるのです。
被害防止には「厳罰」だけでなく「治療」が必要
この種のマジックは、これまで人類の歴史の中では宗教が担ってきました。ですが、現代の日本ではここまで個人のメンタルが追い詰められていても、「残った僅かな強さ」を使って「宗教には騙されない」という踏ん張りをする人が多いのです。
そのことはプラスに捉えたいと思うのですが、そう考えれば考えるほど、この種の「弱さ」を抱えて、危険な加害行為に突き進む人を、もっと科学的な方法で救済できないのか、そう考えてしまうのです。
重病と闘病しても前を向く人、妻子を失っても人格的に振る舞う人がいる一方で、そんな彼らが嫉ましく、気に障り、きっと悪人に違いないと思い込み、攻撃しても罪悪感を感じない人たち。この種の病理に対しての「治療」はやはり必要です。そしてその手段は必ずあるのだと思います。
であればこそ、犯罪においてはその動機の解明は本当に大切だと思うし、動機の本質を解明することで救済へと進む必要があります。
もちろん、厳罰という形で責任は取ってもらいます。ですが、何よりも大事なのは本人が自分の罪と向き合うことです。そのうえで真剣な悔悟へと向かう必要があります。
そのためにも、治療というプロセスは必要で、これが不可能ならば、社会の治安は確保できないと思うのです。
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