あらためて問われる「日本は在日米軍を友軍と思っているのか?」
まず、「日本は在日米軍を本当に友軍と思っているのか?」という根源的な問題があります。沖縄では基地の経済効果が県の経済を支えている一方で、基地への世論は非常に厳しいわけです。
その沖縄に関しては沖縄戦という激しい戦闘に巻き込まれ、その後は27年にわたる米国による占領と軍政に苦しめられた経験から仕方のない面もあるとは言えます。
ですが、昨年の話ですが、関東地方でもヘリが水田に不時着したら批判されるとか、屋久島でのオスプレイ事故への不快感報道など、「在日米軍イコール危険で迷惑」という感情論には抑えが効いていません。オスプレイについては、急行して垂直離着陸ができる島嶼防衛には効果的な機体ですが、日本の世論の中には嫌悪感が定着しています。
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説明は可能といえば可能です、日本人の心情には平和主義が根強いので、今でも世界で軍事プレゼンスを維持する米軍に対しては不快感があるということだと思います。ベトナムの記憶から、同じアジア人として「アメリカ帝国主義は敵」という思い込みの残る世代もまだいます。
その奥には、左派も含めて、敗戦や占領への反発といった意識下のナショナリズムがありそうですが、自覚はされていません。
その先には、「どうして在日米軍が存在するのか?」という根源的な議論が避けられません。敗戦経験から重武装を嫌い軽武装を選択した日本は、米国の軍事力に依存しなくては自国の安全を確保できないので、そのような選択をしている、というのが一般的な理解です。
けれども、その奥には実は屈折した心情があるわけです。左派には国家や国軍への根源的な不信があります。これは旧枢軸国と、旧東欧圏に特有の屈折した心理ですが、自主重武装をすれば必ず自滅するというネガティブな信念のようなものです。
ということは、自国が武装することへの不信感ゆえに在日米軍を必要としている、という構造もあるわけですが、自国の武装に反対している人は、米軍も嫌っているので屈折した心理は表面化することはありません。
というわけで、自覚はないのですが、こうした心情はテコでも動かせないものがあります。そこで、歴代の自民党政権は湾岸戦争のようにカネで済むことはカネで済ませてきました。また、イラク戦争の場合のように輸送支援と井戸掘りで済むならば、それで済ませるということをしてきたわけです。
一方で、自衛隊に関しては、国民から十分な尊敬が集まっているのかというと疑わしいわけです。そのくせ、近年は災害時には自衛隊に過度の依存をしています。
私はいつも不快に思うのですが、東日本震災の際もそうでしたが過酷な遺体収容の作業を、どうして自衛隊に集中させるのか、これは本当に失礼だと思います。自衛官は自分が命を懸けているので、遺体の扱いにも抵抗はないだろうというのは、ほとんど蔑視に近いものがあります。









